はじめに

それは「1枚のビラ」からはじまりました。

自治会の回覧で回ってきたビラには

「学校に行きたい」 砂川亮君を助けるためにご協力をお願いします。

    一刻も早い心臓移植を・・・・
     ぼくの夢は”早く家に帰りたい” ただそれだけです。

そう、書かれている「りょう君を救う会」の募金の趣旨書でした。

心臓移植という内容ももちろんのこと、そこに書いてある少年の名前にまず、とてもびっくりしました。  だって、その少年は、すぐ近所に住む、ついこの間、愛犬ポニーの散歩中に道で出会った、亮君だったのですから・・

住所も名前を見ても亮くんのことを言っているに違いない、でも、ついこの間、本当にこの間会ったばかりの少年が心臓移植だなんて・・・とても信じられませんでした。

趣旨書の中にはご両親のことば、友人のことばが並んでいました。 その中で「親友 貴之(この貴之君は後に亮君の「お別れ会」で弔辞を読んだ子供さんでした)」と『親友』とあるその文字に目がくぎ付けになりました。 私は、ずっと中学・高校とバドミントンでダブルスのペアを組んでいた親友を17歳の時に白血病でなくしていました。 
 病名は違っていても、あの当時病院にお見舞いに行くことしかできなかった、何もしてあげられなかった、何もできなかった無力な私に、「親友」の2文字によって、17歳の自分が重なりました。

亮君は絶対に助かってほしい。 ご両親のためにも、親友と書いている貴之君のためにも、自分も同じ子供を持つ親として、助かってほしい。

そう思ったら、もう、亮君のパパに電話で許可をもらって、ネットを通じて、いろいろな掲示板に募金の協力をお願いしました。 そして、何もわからないまま、強引に「りょう君を救う会」のHPをアップしてしまいました。

渡米まで日本で懸命にリハビリに励む姿、募金目標額達成、渡米、アメリカでの苦しい治療、そして、念願の移植手術、そして、再び心停止、補助人工心臓装着・・最後に力尽きるまで、救う会のHPには、たくさんの人が来て、一緒に応援してくれました。 

掲示板のみのカウンターは5000を越え、頂いたメッセージ、個人宛てのメールをあわせて、
370を越えました。「救う会」宛にも、たくさんの応援のメッセージ頂いています。

「りょう君を救う会」が解散しても、亮君という普通の中学3年生が、どんな苦しい時にでも、「生きる」という希望を決して失わず、力いっぱい生き抜いた記録を残しておこうと、「りょうくんのホームページ」として、形を変えて残しておくことにしました。

亮君をおもいだしたら、会いたくなったら、亮君から力をもらいたくなったら、いつでも、会いにきてください。

何もわからなかった私を一緒に応援して、助けてくれたみなさん、いろいろ教えてくれて、アドバイスしてくれたみなさん、ありがとう。

亮君、たくさんの人達のやさしい、暖かい心に触れさせてくれて本当にありがとう。

そして、最後に、ずっと背中を押してくれていた 私の親友 よっこちゃん、ありがとう。