さいごに・・・・・

亮くんは、たくさんの人の祈り・願いと、一緒に心の世界へと旅立っていきました。
どこにでもいるような中学3年生の亮君が、どんなに苦しい時も、「元気になって家へ帰る」という希望を忘れずに、苦しいリハビリ、治療、手術に耐えて、ちからいっぱい生きようとしたことを、忘れないでずっと心に刻んでおきたいと思います。

 

 
 ・・・どうしても残しておきたいこと・・・
1999・12・30  
 (こちらを見て下さいね)

 

「りょう君を救う会」HPより


よくがんばったね。

アメリカ、ヒューストンのセントルークス病院にて待機入院中の亮君は、9月3日念願の心臓移植手術を受けましたが、心臓の動きが悪く、再び補助人工心臓を装着し、再移植の機会をまっておりました。しかし、10月4日、夜、ご家族、病院のスタッフ、ボランティアの皆様が見守る中、「元気になる夢」を叶えることができず、敗血症により、静かに息を引き取りました。

誠に残念なご報告となりましたが、ここまで、頑張ることができたのは、皆さんのたくさんのご支援のおかげと心より感謝いたします。 掲示板への励ましのメッセージは、個人宛てに頂いたメールを併せて、HP開設以来360以上を数えております。 ページ数にして126ページほどになります。 一緒にたくさん、たくさん応援して頂いて、本当にありがとうございました。 とても、心強かったです。 亮君が神戸に帰って来たら、全部もう1度、亮君のもとへ届けます。

たくさんの応援、本当にありがとうございました。

最後まで、ちからいっぱい頑張った亮君のこと、
忘れないでいて下さいね。

誉めてあげてくださいね。

(お母さんのお手紙より)
身体中で、いいえ、心の底から死にたくないと、明るくわがままに入院生活をしていた亮、移植後、身体にポンプがまたくっついた事を知った時も、泣くこともなく、「コーラが飲みたい」「サラブレが読みたい」「ゲームがしたい」と口を動かしていたのに、何一つすることもなく死んでしまう亮の悲しみや悔しさを思うと、どうにもたまりません。 何と書いてよいやら、もうわかりませんが、1つだけ、アメリカに来れたことで移植が受けられたことだけは、本当にうれしかったです。 日本の皆さんが力をくれたおかげです。 どうも、ありがとうございました。 

亡くなる3日前、ちょうど目を覚ました時に、「サラブレ(馬の関係の雑誌)が来たよ。早く元気になって、読めるようにしたいね」と声をかけたところ、亮君の左目から涙が3本流れたそうです。亮君、悔しかったね。もっともっと、生きたかったよね。 すごくがんばったものね。 今度は、亮君が、深い悲しみの中にいるお父さんやお母さん、るりちゃんをたくさん、たくさん、励ましてあげてね。

お別れ会


りょうくんの「お別れ会」が10月24日、午前11時より、神戸市垂水区 タルイ会館にて行なわれました。

会には、ご親族をはじめ、舞子中学校校長、PTA関係者、先生方、舞子小学校校長、そして、たくさんの同級生の皆さん、お父さんの会社関係のみなさん、トリオジャパンの関西支部の方、自治会長、亮君の医療に携わった名古屋第二日赤病院の先生、国立循環器病センターの方、そして、ボランティアで募金活動に参加してくださった地域の方々、ほんとうに、大勢の方が参列しました。(約600人)

お友達が、「運動を制限されていてもクラスのお友達と一緒にバスケにがんばる亮君の思い出」を語り「ぼくたち、32回生をずっと天国から見守っていてください。心はずっと一緒です」と呼びかけました。そして、救う会の代表が、苦しかった闘病生活にも、「元気になって家へ帰る」ささやかな夢を、決してあきらめることなく、前向きに治療をうけていた亮君の様子を語ってくれました。また、循環器病センターで入院生活を送る亮君のビデオも紹介されました。 最後に、お父さんが、みなさんへの感謝のお気持ちを述べられ、機械につながれながらも、愚痴1つ言わずに、頑張りとおした、最愛の息子、亮君を誇りに思いますと、結ばれました。

遺影の亮君は学生服で、明るく、笑っていました。

 

ご両親から・「りょう君を救う会」・代表から


(ご両親より)

今般、私共の息子の心臓移植に際しまして、皆様には、格別のご支援を賜わり
心から深謝申し上げます。 

本人も、さぞかし感謝していることと思います。

息子は、皆様の善意により念願の心臓移植手術を受けることができました。
その後、生きたいという気持ちをずっと持ち続け、病気と闘ってまいりました。 
しかし、移植心不全および敗血症に負け、
14才と8ヶ月の短い生涯を閉じてしまいました。

永きにわたる闘病生活でしたが、私達家族は、今回の件でさまざまな経験を
させていただきました。

これを糧にして、今後努力していく所存でございますので、
何卒よろしくお願い申し上げます。

皆様、本当にありがとうございました。

砂川 俊一
    博子

(りょう君を救う会より)

この度は、砂川亮君の海外での心臓移植のための募金活動に心温まるご協力を
いただき、本当にありがとうございました。

 皆様の温かいお心は大きな力となり海外移植への道を可能にし、
また、皆様のお気持ちは
両親を励まし、亮君を勇気づけ、力強い心の支えとなりました。

 残念なことに、亮君の「生きたい」という切なる願いは叶えることが
できませんでしたが、最後まで投げやりになることなく、
亮君は力一杯生きぬきました。
 本当に、けなげで立派でした。

ここにあらためて亮君のご冥福をお祈りするとともに、
心より皆様に感謝申し上げます。

さて、「りょう君を救う会」は、下記に今までのすべての会計報告を
させていただきます。 
そして、この最終の会計報告をもちまして、事務局を解散致します。

長い間、心温まるご支援・ご協力をいただき、本当にありがとうございました。

両親はじめ、事務局一同、心よりお礼申し上げます。

1999年12月

「りょう君を救う会」 代表 大口 淳子
                浅田 孝行

(代表より)

「りょう君を救う会」のホームページを通じて、亮君を励まし「りょう君を救う会」を支援してくださった皆様、本当にありがとうございました。 
 募金残金の使途も決まり、皆様に会計報告をすることが出来「りょう君を救う会」は解散することになりました。

「何としても亮君を助けたい」との思いから、募金活動を始めて約6ヶ月間、皆様にはどれほど勇気づけられ、励まされたことでしょう。感謝の気持ちでいっぱいです。

今まで、漠然としか感じることができなかった人の優しさ、温かさ、思いやり、そして強さを肌で感じることができ、毎日感動の連続でした。
「1人1人、小さな力でも皆なで力を合わせれば、こんなに大きな力になる」ということは本当だったんだ、と実感することもできました。

あんなに前向きに病気と闘っていた亮君が天国へ逝ってしまったことは哀しくて哀しくて無念な気持ちでいっぱいですが、この活動を通じて、知り合えた方々、そして募金活動での貴重な体験は亮君からのプレゼントだと思い、一生大事にしたいと思います。

「りょう君を救う会」は解散しますが、砂川ファミリーとはこれからも友人として付き合い、時には亮君の話をして一緒に涙を流したり、笑ったりしていきたいと思います。 そして、亮君に会いたくなったら、私も「りょうくんのホームページ」に会いにきます。

最後にもう1度、この募金活動にたずさわってくださったすべての方々に心よりお礼申し上げます。


                   「りょう君を救う会」代表 大口淳子

募金の最終報告


「りょう君を救う会」会計報告
(1999年11月18日現在)

T 募金額 合計 \ 139,119,752
U 支  出 合計 \ 108,776,543  @+A+B+C+D
@   医療費     \  91,279,500 (80万j)
A   旅 費     \   9,634,988
B   滞在費     \   2,089,266
C機器関連費     \   4,836,910
D事務局経費     \     935,879
V 残  金     \  30,343,209  (T)− (U)

                     

最終的に残った募金は、下記のように使用させていただきます。

@ 「りょう君基金」:海外での臓器移植を希望する方への支援金へ。
  (但し、管理・運営は国際移植者組織、トリオ・ジャパンへ委託致します。) 
 
   約 2000万円

A 亮君が移植の道をすすむ事になった最初の原因ともいえる川崎病の研究費用
  特定非営利活動法人、
日本川崎病研究センター(川崎富作理事長)に寄付
   約 1000万円

  トリオジャパン: 日本での移植手術ができる啓発活動と共に、海外へ
         行かなくては間に合わない患者を積極的に支援するボランティア団体。