今回kuroyagiは胆石の手術と言うことで平成11年12月6日から12月12日まで
病院に入院してきました。このページではその時に経験したことや毎日のことなどを
色々と書きつづっていきたいと思います。これから胆石の手術を経験される??方の
ためにも、少しでも役に立てばいいかなって思っております。
なお、この場を借りて色々お世話になった皆様方に、心より深く感謝申し上げます。
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<<最初に胆石って何じゃらほい?>>
(kuroyagiも医学に関してはど素人ですのでうまく説明できないかも知れませんがご容赦下さい。)
名前が胆石というからには、こいつが出来るのは胆嚢(たんのう)という臓器の中なのですが、胆嚢というのは肝臓と十二指腸の間をつなぐ管の途中に出来ている袋のような臓器です。
そしてこの胆嚢と言うところには、普段胆汁という消化液が蓄えられています。この胆汁という消化液は脂肪を分解するときに使われる物です。
しかし名前は胆汁でもこの消化液は胆嚢で作られている訳ではないそうです。胆汁はそもそも肝臓で作られ、胆嚢にて蓄積され濃縮しているのだそうです。濃縮された胆汁は、食べ物を食べるとその時々に応じて胆嚢から排出され、十二指腸以降の消化器官の中で食べ物と混じり合い、脂肪分解するのだそうです。
そして今回問題になった胆石という物は、元々肝臓の中で出来たときには多くの水分を含んでいた胆汁を胆嚢の中で濃縮する時に生まれてくる物だそうです。
完全に同じとは言えませんが、塩水を煮詰めて濃縮すると塩の結晶が出来てきますね、丁度あんな感じで胆汁の中に解けている物が析出してきて、胆石と称する物になるようです。形状は様々で、つぶつぶころころした石の様な物も有れば、ざらざらとした砂の様な物もあるそうです。
また成分から大きく分けると、コレステロール性の物と、今回kuroyagiがお腹に作ってしまったカルシウム性の物とに分けられるそうです。(それ以外にも若干例外はあるそうです。〔補足(99/12/16):胆石は成分によって、コレステロール石、黒色石、ビリルビンカルシウム石の三種類に大きく分類されるそうです。そしてその中でもコレステロール石、黒色石が多いのだそうです。kuroyagiのは黒色石なのかなあ?〕)
本来はこれが出来たからと言って、そのままだと痛くも痒くもない物なのだそうです。しかしそれは胆石が胆嚢の中で大人しくしている場合に限られます。油分の多い食べ物を大量に食べるなどすると、胆嚢は急激に収縮してその中にある胆汁を排出しようとします。その時に胆石が、胆嚢の出口や、肝臓から十二指腸に繋がる管、或いはその管に胆嚢を繋げいている管に詰まるとさあ大変。
胆嚢が胆汁を絞り出そうとしているにもかかわらず、肝心のその胆汁が胆石に阻まれて胆嚢から出ることが出来なくなってしまい、その性で大変な腹痛を催すことになるのです。
この時に適切な薬を投与すれば、石が詰まることによって収縮痙攣している管の部分がリラックスし、石が外れて痛みは収まります。しかし毎回毎回そううまくいくとは限りません。
(油分の含まれていない食事をとっていれば、胆嚢の収縮する機会も少なく、痛みを経験する可能性も減りますが、今後一生油物〔霜降り肉がだめなら、豚カツもだめ、その他諸々も・・・〕が食べれないなんて言う人生はkuroyagiには耐えられませんでした。)
都合の悪いことに、石が詰まる場所によっては、肝臓や膵臓に恒久的に残る後遺症を残すことがあるようです。そこで何とかこの石を取るという算段になるのですが、薬で取る(薬で溶解して取る。)方法や超音波で破壊する(身体の外から超音波のショックウェーブをあて、石を粉砕してしまう。)方法、手術で取る(開腹するか、腹腔鏡下での胆嚢の摘出。)方法などがあるそうです。
しかし今回kuroyagiが経験したカルシュウム性の石は、薬ではうまく取れないらしく、超音波も余り予後の経過が思わしくない可能性があるとのことで、腹腔鏡での手術でと言うことになりました。
(腹腔鏡:胃カメラに類似した物だと思って下さい。これによりお腹に大きな穴を開けずに胆嚢を摘出することが出来るとのことで、実際1pそこそこの穴を4カ所開けるだけで〔kuroyagiの場合〕身体にかける負担を最小限にして手術することが可能になるそうです。何でもお腹に炭酸ガスを注入して狸のお腹よろしくぱんぱんにして、それで出来た空間の中で腹腔鏡をのぞきながら手術するそうですよ。科学の進歩だなあ・・・。輸血などは必要なく、そう言う意味ではやはり少し安心?)
こんなところで説明の方は分かっていただけたかなあ?もし分からないところがありましたなら、メールして下さいね。(;^_^A
アセアセ・・・
<<検査の内容>>
(どれがどうという関連づけまでは余り出来ませんがkuroyagiの場合・・・・)
〔CT(コンピューター断層撮影)〕
kuroyagiは一等最初の痛みの時にこれを取りました。お腹の断面をいくつも取りその中のいくつかの写真に白く光る石らしき物が写っていました。
〔血液検査〕
これは結構いっぱいしました。おそらくこれにより肝機能とか、炎症反応や感染症の有無などを調べたのではと考えています。
〔超音波撮影〕
超音波エコーを利用して胆嚢の形状などの情報や、石についての様々な情報を取った物と思われます。
〔造影X線撮影〕
造影剤を点滴にて投与してのX線撮影。胆嚢周辺の管の詳細を映し出し、他の資料と合わせて石との位置関係を出したり、管の状況を調べたようです。(管が膨らんでいるとかいないとか・・・)
事前に腸内のガスを押さえるための薬剤を服用しました。
〔胸部X線撮影〕
これは術前と術後の2回に渡り撮りました。これはkuroyagiの推測ですが、炭酸ガスをお腹に入れて膨らまし、その状況下で手術を行うのですが、これによる影響を見る為なのではないでしょうか?
〔腹部X線撮影〕
術後に撮りました。やはりお腹の状態を知る為なのでしょうねえ?
〔腰部X線撮影〕
術後に受ける痛みを軽減するために、脊椎骨内の硬膜という膜の外に連続的に麻酔剤を入れる措置をしたのですが、この処置をするために必要な撮影だという説明を受けました。
〔胃部X線バリウム撮影〕
これは胃潰瘍や十二指腸潰瘍の痛みと胆石の痛みを混同しないために調べておくと言われましたが、kuroyagiの場合定期検診で既に検査していたのと、自身でその痛みでは無いという明確な判断が出来るという申し立てをしたことにより、今回は行いませんでした。
〔心電図測定〕
心臓に異常がないかどうか調べたのだと思います。
〔肺機能測定〕
肺活量その他の機能を測定しました。きっと麻酔などに関わることだと思います。
〔尿検査〕
これはもう病院の検査の定番ですよねえ?
〔血圧測定〕
これも定番。
〔アレルギーテスト〕
抗生物質に対するアレルギー反応がないかどうか、皮下注射後の皮膚反応で調べました。
〔触診〕
痛みの場所を特定していました。(初期に)押さえたときに右上腹部の痛みがありました。また触診とは別にkuroyagiの場合右後背部の痛みが特徴的でした。
<<補足:費用(99/12/16)>>
(もちろん人それぞれ若干の差があるでしょうし、病院によっても異なるかと思います。しかしおおよその参考になればいいかと思って載せておきます。あくまでアバウトな数字ですので厳密には取らないで下さい。)
〔検査など〕
およそ3万円くらいかかったと思います。
(最初にかかった救急病院のCTの検査費用も含めています。)
〔入院手術費用(1週間の入院で)〕
11万5000円くらいでした。
〔入院時に必要だった物〕
前が開く寝間着x1(4000円くらいでありました。)・T字帯x1(ふんどしのような物。手術時に付けます。)・腹帯x2(サラシで出来たお腹を保護する帯のような物です。)(上記の二つで2000円しなかったように思います。)そのほかにテッシュとかバスタオルx2・タオルx2箸箱に箸、替えの下着にお湯のみに歯ブラシ、歯磨き粉、小銭くらいだったかなあ?後は個人の好みで・・・・。
〔様々な補助・・・〕
〈健康保険〉
社会健康保険の本人でしたので実際にかかった費用に2割が当人負担だったのですが、高額医療補助とか言うのがありまして、(地域や団体によってによって異なるかも知れません。)その月の一日から末までの間に、一つの病気に大して確か63600円?を上回ってかかった費用は保険組合に請求すると返ってきます。
ただし上記の期間内でないといけないので請求を一括に、或いは領収書を一枚にするなどしてまとめた方が後々有利かも知れません。
〈生命保険〉
生命保険は普段から入院加療の保証がある物に入って置かれることをおすすめいたします。kuroyagiの場合まだ支払いにはなっておりませんが、おそらく5日目以降7日目までの三日間の分の入院費と手術に対する費用がでるはずです。
〈税金の控除〉
年間11万円以上の医療費がかかると翌年の3月に確定申告で医療控除を受けることが出来ます。
詳しい方法は最寄りの税務署とかに相談して欲しいのですが、家族のものも含めてお医者さんにかかったときの領収書や薬を購入したときの領収書を忘れずに取って置くと良いと思います。
ただしこの薬代には予防薬などのお金は含まれないようです。(ビタミン剤とかの一般大衆薬・・。)
しかし病院に通院する為に使用したタクシー代とか電車代とかも含めて良いそうですので、しっかりとメモっておくと良いかも知れません。
<<さてここからがいよいよ本当の顛末記です・・・・>>
(12月6日)
入院一日目、午前中に病室に入ってロッカーなどに荷物をしまった。6人部屋の一般病室だったがきちんと整頓された綺麗な部屋だった。入院時のことについて、ナースからの説明を受けた。血圧、体温測定と共に背の高さや体重も量った。
その後で今度は手術についての説明を受けた。説明の後腹部の毛剃りを行った。局部の少し上辺りから肋骨下辺りにかけての毛剃りだった。
お昼に食事が出た。これまで油物のを食事を避けてきたのに豚カツが付いてきたのには驚いた。しかし何とも言えず嬉しかった。
昼食の後は入浴だった。石鹸を付けて丁寧に身体を洗ったが、毛を剃った腹部が妙につるつるとしておかしかった。
午後5時頃母ヤギが来た。それと相前後して手術室担当のナースがやって来て手術についての詳しい説明をしてくれた。その説明を受けた直ぐ後、今度は担当の医師の説明を受けた。I先生という女医さんで、これまた極めて分かり易い説明をしてくれて、母ヤギも良く理解できたようだった。
この後夕食が出た。母ヤギは夕食が出たのを確認して帰宅した。
夕食後、午後7時頃緩下剤を服用した。手術前にはお腹をからにするのだろう。夕食後午後9時以降は水分も口にしてはいけないと言われた。
消灯午後9時。比較的何も思い悩むことなく、速やかに眠りにつくことが出来た。全く不安がないかというと嘘になるが、ここに来たらもう思い悩んでも仕方ないというのが実状か?
(12月7日)
6時少し前に目が覚めた。比較的スムースな目覚め。夢は見たとしてもないも覚えていなかった。
部屋の空気が少し乾燥しているせいか、喉が少しイガイガしていた。起きてまもなくして少し間隔を置いて3度トイレに行き、毎回便を出した。元々結構下剤には反応するたちなのでこの後浣腸してもおそらく何も出ないだろう。
今日は2番目の手術なのでおそらく午後1くらいになるだろうとのこと。喉が渇いた。
午前10時頃、持続的に点滴を入れるための柔らかい針を左腕の静脈に刺し、電解質の点滴を行った。成分を見るとなるほどポカリスエットに似た成分だったのでなんだか笑えた。その後トイレにて浣腸を行ったが、案の定ほとんどもう何も出なかった。お腹が渋くなった分、損した感じ。
11時頃母ヤギが来た。やはり少し不安そうな顔だった。逆にkuroyagiの方が落ち着いているか?
やがて手術室に呼ばれた。手に点滴感を刺したまま手術室に向かった。手術室の手前の部屋で下着一枚になり、ストレッチャー(移動式のベッド)の上にかけ布をかけられて横になった。
以前膝の手術をした時、術後とても寒くて辛かったのを思い出していたのだが、今回は背中にウオーマーが入っており、快適だった。
ストレッチャーのまま手術室に入ると、台の表面がそのまま横スライドして手術台の上に身体をずらすようにして移した。この時点で部屋の中を見回すと全て女性。ナースの方が女性なのは当たり前かなと思ったが、麻酔医の先生まで女性だったのには驚いた。でも後で聞くと執刀医の一人に男性の先生がいらしたとのこと。
最初に硬膜外麻酔をするとのことで、右半身を下にし、膝を抱えるように丸め、背中にまず局部麻酔をし、(少し痛かったが大したことはなかった。)その後本来の麻酔用の管を差し込んでいった。
この時少し鈍痛を感じた。
(この時硬膜内に麻酔剤が入ると、盲腸や膝の手術の時にする腰椎麻酔のようになり、下半身に麻酔が施されるようになるとのこと。)
この後身体を仰向けに戻して呼吸器を付けた。これから麻酔ガスを流すと言われた。どんな感じがするのか出来るだけ認識しようとした。感じたところでは無味無臭か?2〜3回呼吸するうちに、意識が遠のく感じがしたので、ナースにその旨を伝えた。そしてその時点で意識がとぎれた。
(補足:腹腔鏡で手術する場合、炭酸ガスでお腹を膨らませて手術するため自発的な呼吸を停止させなければならないとのこと。その為に全身麻酔が必要になった。)
〔覚醒〕
目が覚めると喉に呼吸用の管を通されているのを感じ、猛烈な吐き気を催したが、その管を吐き出す訳にもいかず、またその数瞬巧く息が出来ず、手術したばかりの腹部に吐き気の性でものすごく力が入ってしまった。直ちに管は抜かれたが、口の中は粘液だらけで、それを除去するまで少し息がしづらかった。おそらくこの時までの時点が術後もっともしんどかった時かも?
意識はこれらの時点で既にかなり明瞭になっていた。後で受けた説明によると、かなり麻酔の覚めるのが早かった様。通常はその時点のことは余り覚えていない物だとのこと。
手術台からストレッチャーに移る時、既に協力できるくらいの意識と体力の状況だったことを考えると、確実に麻酔が覚めていたと思えた。
手術室を出ると母ヤギがいた。心配そうな顔をしていたので軽口をたたいて見せた。この時(手術前に頼んでいたのだが・・・。)kuroyagiのお腹から取り出した胆石をもらうことが出来た。合計3つ出たとのことで、うち1つは検査用に必要と言うことなのでもらえなかったのだが、残り二つをペトリ皿に入れて、望み通り手渡してくれたのだ。母ヤギに持って帰ってもらったら、チビヤギたち曰く、「ウサギの糞みたいや!」(;^_^A
アセアセ・・・。確かに後ほどkuroyagiも見たが、その通りだった。
濃い緑のような黒い色をした固まりで、粉をふいたような感じで皿の中でカチカチと音がして堅そうだった。((゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン、これは家宝にしよう!?)
この後kuroyagiは、自身の病室の有る階の看護詰め所横にある経過観察室に入った。そこに来てから自分の置かれている状況を更にきちんと自覚した。これがおよそ午後4時を少し回った頃のことだと思う。
手術の前に付けていた下着はT字帯と言う言ってみれば褌と同じ様な物に替えられ、排尿のための管が挿管されていた。背中には硬膜外麻酔の管がそのまま入っていたし、点滴もそのままの上、心拍数の測定電極、血圧測定装置に酸素濃度計、酸素マスクまで付けられていた。(感覚はなかったのだけれどもお腹の中に管も通っていた。)
午後6時頃だろうか、主治医のI先生が来て手術が巧くいったことを詳しく教えてくれた。何でも癒着もほとんど無く、順調な手術だったとのこと。それ以外にもkuroyagiは結構色んな事を話したのだが、先生は嫌な顔一つせず話を聞いて下さり、ずいぶんとkuroyagiの心を和ませてくれた。
この時点でお腹はほとんど痛くなかったが、少し引きつれた感じがしていた。それよりもむしろ腰や背中が痛くてたまらなかった。その性でkuroyagiはうまく眠れなかったので、その旨を話、湿布薬を貼ってもらうことで凌いだ。
しかしそうは言っても身体のあちこちの何とも言えない違和感が無くなるわけではなく、手術してから後翌日の午前中まで、少しうつらっとしては目覚めると言うことを何度も何度も繰り返した。
(12月8日)
午前中、寝たままで腹部と胸部のレントゲンを撮った。その後先生が来てガーゼを交換してくれた。交換後身体中がごわごわする感じを感じながら、自分の足でベッドを降りると歩いて病室に戻った。まだ気持ち的にはそんなことは出来るのか?と言う思いがあったが、先生が太鼓判を押してくれたので頑張って歩いて帰ることが出来た。この時なんだか自分自身で奇跡を演じているような気がしてしまった。それだけ軽い手術に終わったのだと言うことなのだろうけれども、当人にとってはやはり手術は手術である。手術した翌日にそのまま自分で歩いて帰れるなどやはり非常に不思議な感じがした。
この日、朝ご飯を出なかったが昼からはしっかりとご飯が出た。もちろんご飯と入っても五分粥ぐらいだったが、さすがに全ては喉に通らず食べたのは6割ぐらいだった。
肩や腰の痛みが取れていたが、今度は右胸上部が痛くてたまらなかった。先生の話によると、お腹をガスで膨らましている時に肺が上部に押し上げられ、後で肩こりのような形で痛みが出るとのこと。日にち薬で直りますようと笑われた。実を言うとkuroyagiは気胸かなと思って不安に駆られていたのだが、(呼吸管を抜くときに吐き気による無理がたたったのかなと疑ったのだ。)きちんと説明を受けたおかげで巣の不安が解消された。
昼過ぎにkuroyagiの父親と会社の取引先の部長が見舞いに来てくれた。後で聞いた話であるがこの時のkuroyagiのしんどそうな顔つきに、心底心配したそうだ。しかし無理もないkuroyagi自身まさにしんどかったのだから・・・。
その後、尿排出する管(尿道カテーテル)を抜いた。しかしこの後半日なかなか尿が出ずに非常に苦しむことになった。(何でも尿道に管を通すという刺激を与えることにより、自立して尿を出す反射作用が起こりにくくなるのだそうだ。)途中あまりにも辛抱できずにもう一度管を入れてもらったりもした。しかしその時感じていた尿意ほどには尿が出なかった。おかしいなと思っていたのであるが、その管を抜いてもらった後に猛烈な尿意が来たので、再びトイレに行って頑張ってみた。それまで男子用小便器に向かっていたのでは全然尿が出ず、お腹に圧力がかかるのをおそれて洋式トイレに腰掛けて頑張っていたのを今度は思い切って和式トイレに行って踏ん張ってみた。すると出た出たやっと出た。ほんの少しだけれども尿が出た。後は回数を繰り返すうちに次第に状態に戻り、翌日には従来通りに用が足せるようになっていた。午後に見舞いに来た母ヤギはこのことを心配して帰ったが、翌日良くなってきた旨話すと喜んでくれた。
そんな風に尿の排泄で苦しんでいる最中に、午後から3度吸入を行わなければならなかった。人工呼吸器を付けていた加減でそうやって薬を吸入し、しっかりと痰を出しておかないと肺炎になったりするのだそうである。しかしこれがまた苦しい。咳き込むと右胸上部の痛みに響くのだ。何でこんな目にと恨めしく思ったが、これもきっと日にち薬と思い、何とか堪え忍んだ。この吸入はこの日を入れて3日間続いた。そして後の方になるに連れて咳き込むことはなくなり、吸入も楽になった。
家に電話してみたらチビたちは皆元気そうだった。相変わらす電話の向こうでワーワーと大騒ぎをしている。こいつらはかわらんなあ・・・。
晩ご飯は何とか全て食べることが出来た。睡眠剤をもらえたので消灯時間、午後9時に飲み、おそらく10時頃に寝付いたと思われる。1度も目が覚めることなく良く眠れた夜だった。
(12月9日)
朝6時に目が覚めた。今日は昨日に比べるとかなり体調が良い。右胸上部の痛みもほとんど消えていた。お腹の傷の上にはガーゼが乗ってい、それを保護するようにサラシで出来たガーゼの腹帯をしているのだけれども、これを少しきつめにしてもらうと小用をするときに出しやすいのに気が付いた。しかしだからといって余り締め付けていると、晩ご飯を食べてお腹が膨れたりするとその締め付けでしんどくなるので注意が必要。これはまさに経験者語るだった。(^_^;)
腹部の傷の回復は順調の様。明日にはお腹の中に通している管を抜きましょうかとのこと。
(そうなんですね、手術の後まだお腹に管を通したままなのです。何でもお腹の中の傷が順調に回復しているのかどうかを知るためにも役立つそうで、手術した部分からの浸出液や血液、万一有れば膿などを体外に出すための管だそうで、ここから出てくる物が綺麗になったら抜くのだそうです。)
少し汗をかいて動いた時に背中の硬膜外麻酔の管がずれたような気がしたので、ナースに調べてもらった。その結果やはり少しずれているとのことで、最終的には抜くことになった。
午後に母ヤギが来た、元気になっているのを見て安心したよう。家のことを聞くと相変わらす賑やかなよう・・・。
今日はkuroyagiの義兄と会社の女の子が見舞いに来てくれた。昨日より元気になれた様子を見てもらおうと張り切ったつもりだったのだが、後で聞くとそれでも元気なさそうだなあと思ったとのこと。そんな物なのかなあ?
今日は結構元気が出てきた物だから、かなり院内の同じフロアをうろうろとした。小人閑居して悪をなす?しかし動いた方が傷の回復には良いそうだ。
今日も出された食事は全て平らげ、睡眠剤をもらって10時頃就寝した。
(12月10日)
今日も6時頃に目が覚めた。朝ご飯が楽しみ、と言うことは健康になりつつあるのだなあと思った。
午前中のI先生の回診でお腹に通っていた管を抜いた。お腹の皮の下をニュウルリと何かが動く感じがしてなんだか気持ちが悪かった。順調ですねという先生の笑顔に嬉しくなった。
昨日硬膜外麻酔の管を抜いたのは予定よりも1日早かったのであるが、それによる後遺症とか言う物は何もなかった。痛みも全然ない。退院の日程を聞くとおそらく明後日くらいとの話だった。
吸入の時に少し咳き込んで右胸上部の痛みが少し出たが大したことにはならなかった。
元気が余って来だしたので5階にあるkuroyagiの病室から、地下1階にある売店まで階段で行ってみた。帰ってくると息が切れた。やはり元気と入っても体力的にはかなり落ちていますねえ。しかし術後の経過は確実に日にち薬の段階に入りました。便の方もkuroyagiの場合手術の翌々日から1日2回出、ガスもしっかり?出ているので内臓の動き方も極めて順調です。
〔四面楚歌〕
上記でも少し書きましたが、盲腸などお腹の中をいじるような手術をした場合、(今回のkuroyagiの行った手術ではほとんどいじらなかったのですが・・・)術後の内臓の回復を知るためにガスが出たかどうか良く聞きます。かく言うkuroyagiも何度か聞かれましたが、順調だったおかげで比較的早い時期にイエスと言うことが出来ました。しかしイエスとは言ってもkuroyagiの場合、遠慮がちで密やかかつ極めて静粛?な放出なのでしたが、古参の同室のおじさんたちは違いました。
部屋の中に大体1時間もいると、あっちでもこっちでも派手な放出音が・・・。これが連続した日にはたまらない。いくら痛くないと入っても笑うと響いて痛みがあることはあるのです。なのに周りであんなに・・・もうお腹が痛くて、この性で死にそうになりました。まさに四面楚歌、この状況に屁口(閉口)したkuroyagiでした。
〔介護を受けるならやはり・・・〕
世の中ではわざわざ男女同権を歌い(歌わなくてはお互いに尊重し会え無いというのがいささか情けないと思うのだけれども。)看護婦と言う形で女性のみを対象にした人員募集をしてはならないって事になっている。でもkuroyagiの偏見かも知れませんが、介護を受けるならはやり女性に受けたいと思う。患者という極めて無防備な姿をさらすのに、相手が男性だと身構えてしまってどうにもならないように思うのだ。もしかすると看護してくれる人に、無意識に母の姿を重ねているのかも知れない。確かに相手が母ならたとえどんな無防備な姿を見せても平気だし、あられもない姿を見られても何とか我慢できる。なんと言うか彼女達だから許せるという気がするのである。
しかし相手にしたらたまった物じゃないかも知れ無いな。それはそうだと思う。好きでもない相手の下の世話までするのだから・・・。しかしそう言った理念的なことを超えた部分で彼女達の細やかな心遣いを感じたとき、kuroyagiは素直に心から感謝したいという気持ちになった。
こうやって介護を受けて元気になったら今度は、男性の立場で男性に出来る形で困っている人に手をさしのべられたら良いな、そんな風に思った。男も女もお互い様ですからね・・・。
〔命の声〕
病院と言うところは命の最前線にある。そんな風に感じさせられたことがあった。
それは夜中のことだった。他の病室からウォーウォーと言う叫び声が聞こえてくるのである。何故そんな叫び声を上げるのかは分からなかったけれども、痛みの性だろうか?苦しみの性だろうか?普段人は色んな事で歓声は上げたりしているが、その声はその声にはなんだか命そのものに関わるようなものが感じられた。それはまさに背筋がぞくっとするような物だった。
〔帰心矢の如し〕
隣の患者さんが家に帰れるんですよと大喜びだった。もう地に足がついていないようだったが、長らく入院されていたと言うことでその気持ちが良く分かった。ご家族が迎えに来られるのを今か今かと待ち侘びておられた。家に帰り着いらどんな話に花が咲くのでしょうかね。その方の様子を見ているだけで暖かそうな家庭の光景が目に浮かんだ。
〔テレビの話〕
テレビで看護最前線の放映をやっていた。自ら看護を受けている身なので何を今更と思ったのだが、最初の話にだけは興味があったのでテレビを付けてみた。それは生まれながらにして口と胃が食道で繋がっていない男の子の話だった。生まれて直ぐのいたいけな赤ちゃんに何故かくも過酷な試練のを?他のいかなる事はどうあれ、こんな時に私は神様の存在に疑問を持ってしまう。
彼は既に一度口と胃を食道で繋げる手術をしている。しかしその時は失敗したそうだ。その手術を5歳を過ぎてから再び受けるというのだ。5才と言うと色んな物事が分かり出す年齢であり、かといって手術のことを説明してもまだ理解することが出来ない年齢でもあった。
頑張って手術を受けようねっと看護婦等にはげまさられるがむずかる彼、無理もない、当たり前のことだと思う。あらかじめ様々な手段を駆使して自分がどういう処置を受けるのか十二分に知っていると思っていた(しかも非常に簡単な手術だというのに)kuroyagiでさえ、手術を受ける直前にはやはり不安を覚えたのだ。ましてや5才そこそこの子供がどれほどのことを理解し判断できるというのだろう。不安を覚えないない方がおかしいというものだ。
しかし彼はきちんとその不安を乗り越えて手術を受けた、自らの意志で。結果・・・成功!彼は無事に食べ物を飲み下すことが出来るようになった。kuroyagiは心からほっとした反面、それがテレビの中の出来事で既に過去のことであるにもかかわらず、手術に入るところで思わず神に祈っている自分に気が付いた。神はやはりそこにおわすのか?ただその存在は人間の考えの埒外にあるのかも知れない、ふとそんなことを思っていた。そしてテレビの中で彼が浮かべたとても嬉しそうな笑みに胸の中が熱くなるのを感じた。そう、生きているって良いよね?たとえそこに至る道が辛くとも・・・
(12月11日)
今日は7時少し前に目が覚めた。体調はかなり良いように思えた。快食快便、次第に元気が盛り返してくるのが感じられる。右胸上部端の痛みがまだ少し残るが大したことはなかった。
ところで昨日の夜はまいった。前日まで二晩続けて睡眠導入剤をもらっていたのであるが、そろそろ無しでも眠れるのかなと思ったのが運の尽き。周りの音が気になったり自ら咳き込んだり、さっぱり眠りにつくことが出来なかった。そこで11時を過ぎた頃だろうか、とうとう諦めてナースステーションに向かい薬をもらうことにした。薬を飲むと約30分ぐらいで眠りにつくことが出来た。
余談であるが、そんな時間にナースコールをするのに忍びなく、しかも元気でもあったので自分の足で歩いていってナースに「すみません〜」と声をかけたらビックリたまげられた。
午前中の先生の回診があって明日の退院が決定した。当初からの予定通りと言えば予定通りだったが、やはり目の前でこうだと告げられると嬉しいものだ。早速家に電話をするとみんな喜んでくれた。
今日は吸入も点滴もなかった、それだけ元気になったよと言うことなのだろうか?ここまで回復してきて初めて持ってきたカセットの音楽を聴いて楽しむことが出来た。本も少し読むことが出来た。体力がないと何か楽しもうと思っても楽しめないのだなと言うことが理解された。
暇つぶしの様々なことが出来るようになったのでこの日は時間が経つのが早かった。明日には退院と思うとそのことがまた無性に嬉しかった。
今日は見たいテレビがあったので睡眠導入剤はもらわなかった。きっと遅くまでテレビを見れば眠れると思ったのっだ。しかし・・・・
(12月12日)
昨日の夜はまた一昨日に輪をかけてまいった。昨日隣に新しい患者さんが入ってこられたのだが、この方のいびきがすごかった!!3〜5分間の無呼吸時間の後に、地獄の底から蘇った亡者の叫び声みたいないびき・・・。これにはまいった。実際疲れていたので一端眠ったのだけれども、にもかかわらず起こされてしまうような凄いいびきだった。・・・で、とうとう4時過ぎには眠れなくなってしまった。しかし今日退院だと思うとそれも大して苦にはならなかった。
喉が渇いたのでお茶を飲もうと思ったのだが、枕元のポットにはもうお茶が入っていなかった。それでロビーにあるポットにお茶を求めに行った。するとそこには老若男女が十余名薄暗い中真剣な表情で腰掛けていた。kuroyagiはぴんときた。何方かが亡くなったに違いない。
無言でお茶をカップに入れ彼らに背を向けると、早々にその場から立ち去ろうとした。まさか自分が退院するまでの間にその様な事態が起こるとも思っていなかったので、少しショックだったがそれが現実なのだろう。病院とは人が命をかけて戦う場所なんだと言うことを身をもって知らされた。
見ると向こうからkuroyagiを受け持ってくれている先生がやってきた。きっと一晩中を詰めていたに違いない。kuroyagiの姿に気づいた先生は一瞬だけ笑みを浮かべてくれた後、大急ぎでロビーの人達のところに向かっていった。
それからしばらく時間が経った後、朝ご飯の頃になるともうそこには誰もいなかった。しかしなくなった方が居られたと思われるを病室には造花ではあるがバラの花が一輪添えられていた。もしかするとそれはただの慣習なのかも知れない、しかしkuroyagiにはそこに暖かい血の通った何かを感じられた。
午前中先生の最後の回診を受けた。それまでしていたガーゼと腹帯を取り、通気性のフィルムパットと交換した。腹帯が無いとなんだか頼りない感じがした。まだ傷口から糸は取れていないが、これは二日後に外来で取ることになっていた。今朝の話を伺うと何でも先生が長年受け持たれていたとか。先生の気持ちが忍ばれるような気がした。その後先生から退院後の注意事項を聞いた。
〔注意事項〕
フィルムでカバーしているからシャワーには入っても良いとのこと。
傷の治りを考えると2週間くらいはアルコール控えて下さいとのこと。
食べ物は何を食べても良いとのこと。
先生の回診が終わると、以前の患者さんのようにもう帰心矢の如しだった。(^_^;)自ら帰り支度をしてしまい、母ヤギの来るのを待った。久々にパジャマから普通の服に着替えたが、ようやっとという気がした。チビ達の顔を見るのが待ち遠しい。長いようであっと言う間だった入院生活もついに終わりを迎えたのだ。やってきた母ヤギと共に受け持ってくれた先生とナースの皆さんにお礼を言って病院を去った。病院を出ると風が冷たかった。すっかり冬なんだなあ・・・・。
<<最後に>>
最後まで読んで下さりありがとうございます。なにぶんにも医学はド素人ですのでおかしいところは多々あるかも知れませんが、そこのところはなにとぞご容赦下さい。
文中では敬称などほとんど抜けておりますが、これは文の流れ上のことですのでご理解下さい。
また看護婦さんのことをナースと書いているのですが、これは日本の法律で男女区別はだめだと言うことで、正確には看護士と書かなければならないところをやはり看護婦さんの女性ならではの細やかさと優しさに敬意を表してあえてナースを書かせていただきました。
最後に、今回お世話になった全ての方々に心からの感謝の意を表し、顛末記をここに終了させていただきます。本当にありがとうございました!
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