不思議に思ったこと

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   本当にアニメやゲームのせい?  97/8/10
   世間では、若い世代で何か残虐な事件がある度にアニメやゲームの
   せいにされる。これって本当なんだろうか?
   これが本当に原因なんだろうか? 

   どうして同じ日に株主総会を?  97/8/10
   株主総会はいつも固まって行われる。小学生の集団登校じゃああるまいし、
   何だか珍妙な感じがしません? 

   白昼夢  97/8/10  
   人間て現実に生きるのかそれとも?

   ペルソナの陰の人々   97/8/10
   自分も使っているけれどもこのインターネットって言う代物、
   なまじ相手の顔や名前が分からないだけに
   色んなことが起こっているよう。うっかりして誰かを傷つけなければ
   良いのだけれども。

    共有すること   97/11/18
   今の若者達の求めているものって何だろう?
   彼らは価値を本当に共有することを知っているのだろうか?
   あまりに孤独な彼らの心が心配です。

    結婚って言うこと   97/11/25
   結婚て言うのは人生の一大事。
    恋愛の熱量だけではとてもじゃないけれども
    一生持ちはしない。
    少しでも素敵な結婚をしようと思ったら・・・・。

    子供を叩く親    98/2/26
    kuroyagiが見たファミリーレストランでの光景。
    子育てって本当に難しい。 
    でもそれだけじゃない・・・。

    自分達の為に  99/9/6
   インターネットが役立つのは良いけれども・・・。

    大人と子供の狭間に 2000/05/08
    子供達の乱れていく心を考えて。

    責任 2000/07/06
    企業が本当に責任をとるとしたら・・・。

    科学への期待 2001/01/22

   戦争からは逃れられないのか? 2003/03/19
   明日の開戦を迎えて・・・。

   正しい行いなのか? 2003/12/14
   イラクでアメリカが行った行為の大義は?

   善意の解釈について 2004/02/12
   受験会場を間違えた受験生、その受験生に救いの手を述べたのは?

   書き散らかしたこと 2004/04/08
   とある方と話をした時のことがずうっと頭に残っていたので、そのことを中心にまとめかけて?みました。



   本当にアニメやゲームのせい?  97/8/10   TOP HP-INDEX

   良く世間では何か残虐な事件が発生すると、
   すぐにアニメやゲームのせいにする。
   確かにその手口や単純性はそれに負うところがあるかも知れない。
   でもその原因はもっと別のところにあると思う。
   今の世の中、なんだかんだ言っても学歴社会で、
   高学歴であることが成功することの秘訣のように語られている。
   (もっとも一部にはそうではないよと言う企業も現れてはいるが。)
   で、世間の趨勢は高学歴、高学歴へと動いている。
   でも高学歴と言ってもその実体はどうだろうか?
   小学校、中学校、高校と(最近は幼稚園のころから?)
   どこそこの大学目指してと一生懸命になり
   親も子も必死になっている。
   何かを目標にして頑張るという行為はとっても尊いことだと思う。
   しかしその大学に入ってからはどうなっている?
   目的の無くなった子羊達は
   遊ぶことにこそ長けて行くが、
   これからどんどん自分自身の頭で物事を考え
   自分自身の言葉で物事を語っていかなければならなのに、
   多くの者達がすでにその力をなくしてしまっている。
   入るに難しく、出るのに易しい最終学府。
   これって問題なのではないだろうか?
   いつもいつも詰め込みで、
   その背後にあるものなんか考えていたら
   置いてけぼりになってしまう。
   だから疑問もなく目の前に置かれてものを取り込むことにのみ
   長けていく。
   それが良いものだか悪いものだか考えようとしない。
   これが一番問題なのじゃあないだろうか?
   人間の思考は初めは単純なものから
   次第に複雑なものへと分化していく。
   だからそれぞれの分化の度合いによって
   色々なことを考えて悩み大きくなっていく。
   それも無しに子供が大人になったら・・・。
   簡単に人の命がリセットできるみたいな感覚が
   根付いても不思議ではないのではないだろうか?
   また詰め込みだけを経験して大きくなった人間が、
   今度は他の人間を推し量らなければならなくなったとき、
   どう言う物差しで測ればいいのだろう?
   自分の言葉がない彼らには
   他人の物差しを借りて測ること以外何もできないのではないだろうか?
   みんながみんなドングリの背比べのような物差ししか
   持たなくなったとき
   物事に画一化した見解、価値観しか持てなくなったとき
   (しかし彼らの帰属意識はきわめて希薄。)
   そこに異質分子の混じったときの強烈な嫌悪感。
   まさに現代のいじめに他ならないのではないだろうか?
   今一番求めなくてはならないのは
   自分の言葉で物事を考えることが出来るようにする環境
   これなのではないだろうか?
   自分自身の中にきちんと物差しを持つことが出来るようになれば、
   ゲームはゲームとして、
   アニメはアニメとして楽しく楽しめる
   本来のエンタティメントとして機能するのではないだろうか?

   どうして同じ日に株主総会を?  97/8/10   TOP HP-INDEX

   日本だけなのかどうか知らないけれども、
   日本の企業は特定の日に固まって株主総会を開く。
   株主になろうというような人は
   色んな会社の株を持っていても不思議ではないだろうに、
   そんな人のことを考えないのだろうか?
   株主総会を開いて
   総会屋が来るのが怖いから?
   本当にそれが怖いからそうしているのだろうか?
   会社はそれぞれ株主に自分たちのやっていることを
   しっかり話さなければならない義務がある。
   なのに多くの総会で行われるのは根回しされた文書を
   大急ぎで読み上げることだけ。
   みんなで賛成してはい、さようなら。
   文句を言われたくない。
   自分を批判されたくない。
   そう言う気持ちはよく分かるけれども
   物事の価値判断なんて反対意見があって初めて
   分かるもの。
   そう言う意見を聞かずしてどうしてバランスの取れた
   舵取りが出来るというのだろう。
   常に批判されることを畏れて動くマイナスの論理、
   そんな考え方でこれほど沢山の企業が動いて、
   問題が起きないわけがないのではないだろうか?
   でも黒ヤギ自身も批判されるのが怖い部分がある。
   もっと色んな考え方を受け入れられるようにしなくてはと
   思いはするのだけれども、
   それをしっかりやるには一人一人が
   もっと強くならねばならないのだろうなあ。
  

   白昼夢  97/8/10   TOP HP-INDEX

   子供の頃は今よりもっとよく見たように思う。
   しかし大人になってから見なくなったのか、
   それともただ忙しくなったから見なくなったのか、
   見なくなって久しい。
   昔見た白昼夢には結構迫真性があったのに
   今はなぜかそんなにリアリティの感じられるものを見ようと思っても
   かなえられない。
   普通の夢なら結構リアルな夢を見るときもあるのだけれども
   何が変わったのだろう?
   本人なのか?周りの環境なのか?
   胡蝶の夢。 
   一体どちらが真実なのだろうかねえ?

      

   ペルソナの陰の人々  97/8/10   TOP HP-INDEX
    
    インターネットの世界は色んな情報が錯綜していて
    その情報を次から次へと覗いていくのが楽しい。
    それにネットを通じて色んな人と知り合うのも楽しい。
    でもそんな中で時々悲しいことに巡り会う。
    ネットの中では本名を使う人もいれば
    ハンドルネームを使う人もいる。
    それは皆人それぞれだ。
    でもその匿名性に隠れて
    平気で人を傷つける人がいる。
    実際にあうととても優しそうな
    無口な人までもがペルソナ(仮面)に隠れて
    痛烈に人を批判したり
    攻撃したりする。
    もちろん意見くらいは言っても良いと思う。
    でも相手のパーソナリティにダメージを与えるような、
    そんなメッセージの伝え方って無いと思う。
    今の社会は黒ヤギも含めて全ての人々の
    目に見えざる相互保証の上に成り立ち
    維持されている。(文明の恩恵に浴している以上)
    それは本人が認識していようといまいと
    ほぼ間違いのないことだと思う。
    そんな中で表面は羊を装いながら
    他人の苦しみの肉汁をむさぼる狼がいる。
    何とも悲しいことだ。
    ヤギは臆病だからそんな狼達には近づくことはようしない。
    しかし沢山の羊達の悲鳴を聞いていると、
    何とも悲しい気分にさせられている。
    狼にも二種類いる。
    狼としてのプライドを持っているものと
    自分が狼であることを知らないもの。
    やっかいなのは後者だ。
    彼らは自分が他者を傷つけていることすら知らないのだから。   

 

    共有すること  97/11/18   TOP HP-INDEX

    最近の子供達は共有することを知らない。
    ものを共有しない、
    心を共有しない、
    個々に楽しむことはしても
    一緒に共有しながら楽しむことをしない。
    一緒に共有しながら何かを作り上げることをしない。
    何時もどこかで競争。
    自分と他人の区別ばかりをする。
    もっともっと一生懸命に同じことして遊んで
    同じ仕事を一緒になって頑張って、
    互いに心を共有することが出来たなら、
    今よりもっともっと孤独でなくなるのに、
    自分が他人と異なるのではと
    恐れることなど無くなってしまうのに、
    それを行うことが出来ないような環境の中に
    無理無理押し込められてしまっている彼ら。
    誰が一体彼らの心の扉を
    開く呪文を唱えるのだろう?


    結婚って言うこと  97/11/25   TOP HP-INDEX

    黒ヤギと母ヤギが結婚して早十数年。
    なんとも月日のたつのは早いものです。
    まあその間なんとかかんとか上手くしてきたのですが、
    これからもまた何とか上手くしていきたいなと思っています。
    んで、その一方、これから結婚して一緒になる人達に、
    何か伝えたいなあと思ってキーを叩き始めました。
    もとも黒ヤギの経験してきた年月なんて
    世間の諸先輩達に比べたらまだまだだから、
    大して何も伝えることはないかも知れないけれども
    それでもなんと言いますか、
    これから一緒になろうという人には幸せになってもらいたくて、
    書き始めてしまいました。

    これから夫婦になろうって言うのが結婚て言う儀式なのだけれども、
    互いにそれまで他人だったのが一つ屋根の下に暮らして、
    寝食を共にするわけだから、
    ただ好きだというそれだけの気持ちではなかなか難しいことだと思う。
    どちらも健康で事故などを経験するのでない限り、
    少なく見積もっても数十年一緒に暮らしていくのだから、
    二人が一緒に経験していくことで同じように苦しみ、
    或いは同じように喜び、感動すると言ったような気持ちの分かち合いがないと、
    寄り添い続けることが難しくなってしまう。
    そりゃあ人間はそれそれ色んな価値観を持っています。
    だから何から何までまったく同じ価値観を持つわけにはいきません。
    しかし大体において基本となる価値観を共有出きる、
    これは出来たらあってほしい、最低限のことだなあって思ってしまいます。

    一昔前までの日本社会では、
    女性が社会に出る機会が非常に少なく、
    従って女性が手にする情報の量は極めて限られたものとなっていました。
    そのせいもあって男は外、女は内というような具合に
    或いは男尊女卑というようなことがまかり通ってきたのだけれども、
    現在の世の中はそうはいかない。
    受験受験と追いまくられている男性諸君よりも
    下手をすると女性達の方が実社会の情報なんかを豊富に持っていたりする。
    勿論情報の多さすなわち良いこととは言えないし、
    情報の活用の仕方も男性と女性では色々と異なる。
    しかしそれはさておき、
    ともに様々なことを判断するのにたるだけの多くの情報を
    持つようになっている。
    そんな状態で家庭を持って、
    どちらか一方だけがなんで自分だけがというような不公平感を持たないようにする。
    これも凄く大事なことだと思うのですよ。
    例えば子育てもそうだし、家事の分担もそう。
    黒ヤギも他人様のことは言えないけれども、
    もう少し互いのやっていることに理解を持って上げても
    良いだけの情報を互いに持っているのだから、
    互いに十分に考えるようにしなくてはいけないものだと思うのですよ。
    だからお互い家事だけにかまけていてはいけないと思うし、
    子育てだけも、仕事だけもいけないと思うのです。
    たまには可能な範囲で相手の仕事をしてみるのも良いと思います。
    ここで一つ注意、
    仕事というのは何も外で働くことだけが仕事ではないです。
    手間暇かかること全てが対等な重さを持った仕事なのです。

    それから互いの肉親のこと。
    相手の肉親のことは絶対に悪くは言ってはいけないと思う。
    なぜならそれはその人のパーソナリティを作り上げてきた基礎になるものであり、
    すなわち直接的の本人を攻撃することにも等しいことだから。
    これは相手の育った環境をとやかく言うことも同様だと思います。

    それから互いにいつでも話が出来ること。
    毎日出来たら笑い話の一つや二つ必ず夫婦の間で
    話せるようであれば良いなと思います。
    ピロートークっていうのが有りますが、
    寝る前に夫婦で今日あったことを色々と話し合い、
    ついでに馬鹿話のいくつかもして大笑いして、
    その日の憂さを忘れてから眠りにつく、
    出来たらそう言うようであってほしいなって思います。

    ・・・と、まだまだ書きたいことは湧いてきますが、
    今回はこの辺まで。
    ここに書いたことが全て正しいなんてことはちっとも思いませんが、
    何かを考えるために少しでも役だってくれればなって
    考えています。
    結婚してからも別れることは出来ますが、
    出来たらする前にじっくり考えておくのが良いと思います。


     子供を叩く親  97/8/10   TOP HP-INDEX

    今日kuroyagiは出先でファミリーレストランに入った。
    ファミリーレストランのことを好きか嫌いかと言うことはさておき、
    問題はそこで見たとある出来事なのだった。
    kuroyagiの座っている席の近くに
    伝い歩きがやっとというような子供を連れた若い夫婦がいた。
    これだけなら何処にでもあるような当たり前の光景だった。
    しかし・・・。
    母親が突然子供を叩き出したのだ。
    何故叩くのか?
    kuroyagiには残念ながらその訳は見て取ることは出来なかった。
    kuroyagiが驚いたのはそこからだった。
    叩かれ出したその子は最初の内驚き、
    次に痛みから顔を歪めた。
    すると彼女はそれを指さして笑うのである。
    子供が苦痛に顔を歪める度に笑みを浮かべるのである。
    父親はどうしているかというとそんな彼女を子供を眺めて
    にやにやしているだけなのだ。
    見かねて思わず口を出そうかと思った数瞬前に彼女は叩くのをやめた。
    そのくせ彼女は子供を華美なまでの可愛らしく飾り立てている。
    一体これは何なんだ?
    kuroyagiの心の中を大きな疑問符が占めた。
    何かがおかしいのだ。
    子供はあなた達のペットでもなければおもちゃでもない、
    ましてや憂さ晴らしの道具でもなければお飾りでもないのだ。
    勿論kuroyagiだって子ヤギが悪いことをすればお尻の一つや二つ、
    真っ赤っかになるくらいお仕置きすることもある。
    しかし訳もなく、或いは訳があったとしても叩きながら、
    子供の顔が苦痛に歪むのを見て平気でいるなんて言うことは、
    ましてや笑うなんてことは出来やしない。
    知識はあるけれども判断が出来ない人が増えている。
    自分のことは色々と考えることは出来ても、
    他人のことは考えることが出来ない、
    そう、自身のことは理解できても他人のことは一切理解できない、
    いや、理解しようとしない、理解の仕方を知らないのだ。
    そんな人が増えているのだ。
    誰だってする事をすれば子供を作ることが出来る。
    これはあくまで黒ヤギの意見でしかないけれども、
    子供を育てるためには何度も何度も子供の視点にまで降りていって
    同じ高さでものを見ないと子供の見ているものが見えてこない。
    大人の論理はやはり大人のためのもので、
    子供に完全に適用することには無理があるのかも知れない。
    だから出来れば頻繁に身をかがめ(精神的に)子供の視線の位置を合わせる。
    また、それをしないとなかなか子供の考えていることが理解できない。
    大人の視点でのみ子供をも見るのは良くできたおもちゃを眺めるのに似ている。
    色々とめまぐるしく動くのを見て楽しむことは出来るけれども、
    それがどうしてその様に動くのかは結局理解できないままなのだ。
    一人の人間を育てるのに一体それで良いのだろうか?
    子供は外部からの刺激に対して実に複雑で豊かで多様な反応を返してくる。
    それが一体何を意味しているのか読みとるのは、
    子供が小さい内はさほど大変事ではない。
    しかし子供は親の考えている以上に早く大きくなる。
    まさに瞬く間に大きく成長し、
    その心を複雑に分岐させていく。
    単純な頃の子供の反応を見て安心していた親は
    ある日突然子供が自分の考えていた以上に複雑で、
    簡単に理解しきるわけには行かないことに気がつく。
    そしてあわてて何とかしようとするが上手く情報を吸収することが出来ない。
    人間誰しも訳の分からないことに対して大きな不安を持つ。
    子供の存在そのものが謎になりつつあるとき、
    親は不安になる、どうすればいいのか分からない。
    で、結局みんな外部の人間や組織に任せてしまうことにより
    手近な安心感を簡単に得ようとしてしまう。
    しかし子供の千差万別な個性に対応するに足るシステムは
    簡単に作り上げることが出来るようなものではない。
    必然的に任せられた人々や組織は
    最大公約数的な画一的な刺激で子供の反応を丸め、
    扱いやすい人間を作り出していく。
    結果、彼らは彼らの親以上に他者を理解することが出来ない人間になっていく。
    本当に困った問題だ。
    しかし大きな問題が他にも存在する。
    それは大人の個人の時間を奪ってしまう日本人の意識構造、
    とりわけ会社などの集団社会構造にあるように思える。
    一家の重鎮として精神的な要になり、
    (個人差があるので一概にはいえないのですが、一般的に女性は
    比較的身近な範囲に限定された問題の解決能力に優れており、
    一報男性はもう少し一般化された問題の解決能力に優れているようです。)
    しっかりと子育てに参加しなくてはならない父親が、
    母親と水も漏らさぬコンビネーションをとって協力し合わなくてはならない男性が、
    その人間性を無視したような形でこき使われ、
    使い捨てられていっているのです。
    働くことは美徳?
    勿論ある程度まではその通りだと思う。
    しかし会社での仕事だけが本当の仕事なのかな?
    働く人が家族と関わり合いが出来なくなるような状況になるほどこき使うのは
    決して美徳なんかじゃあない、むしろとんでもない悪習だ!
    その悪習に染まらなければ出世できない?
    どこかで価値観が狂っている。
    確かに豊かに暮らすためにはお金は大事なものだ。
    しかし豊かさを生み出すのは果たしてお金だけなのだろうか?
    お金だけで真に豊かになれるのだろうか?
    決してそんなことはないと思うのだけれども・・・。
    それに真の豊かさとは何かを知る人間を育てずに
    一体どうして豊かな社会を築くことが出来るというのだろう。
    豊かさ、多様性が無く、画一化した組織のみが目的を持って動く
    そんな社会の行き先に果たして本当に豊かな未来が広がっているといえるのだろうか?
    これはもう一度もみんなで真剣になって考えなければならないことだと思う。
    そう・・・手遅れにならないうちに・・・・。
    
    最後に、
    人間は社会で生きる生き物だ。
    社会無くして生き続けていくことはかなわない。
    しかしその社会を構成する最も小さな単位は
    家族なんだと思うのですよ。
    社会と名の付く最小のユニット
    それが家族なんだと思うのですよ。
    その家族という小さな社会組織すら上手く機能させることが出来ずに、
    どうしてそれよりも大きな社会組織を維持していくことが出来るというのでしょう。
    まずは身近にいる人からしっかり理解すること。
    それが全ての始まりだと思うのですよ、kuroyagiは・・・・。
 

    自分達の為に  99/9/6   TOP HP-INDEX

   先日、ビデオの修理に関して、
   とある企業の社員が客に対して
   あるまじき態度に出たということが、
   ホームページに出ていました。
   そのホームページは
   社員の対応のあまりのひどさに耐えかねた客が、
   その実態を世間に公表すべく開いたものでした。
   また今度は和歌山の方で、
   いじめの問題について学校側の態度に誠意がないということで、
   ホームページを開かれていた。
   私はそれぞれの主旨が良く理解でき、
   内容には賛同するものが多かったように思います。
   それと共に大義を優先し、
   えてして個人を無視する傾向の強い今の日本社会において、
   個人がそう言ったものに一矢報いる手段を
   手に入れたということは、
   とても良いことだと思います。
   しかしその一方で、
   十分に注意しないと
   それによって誰かを傷つけることが
   あることを考えて置かなくてはいけないと思います。
   中でも特に注意したいことは、
   正しいことを述べていても、
   それが正しく表現できているとは限らないし、
   また、それが正しく伝えられているかどうかということや、
   正しく理解されているか分からないということです。
   遠い過去から現在に至るまで、
   情報は何度も意識して、
   あるいは無意識にコントロールされて
   人々の間に流されてきました。
   それにより大きな戦いが起こったことも沢山あります。
   私はインターネットで情報を発信するにあたって、
   それぞれの人間が出来る限りの努力を行ない、
   正しい情報を如何に正確に伝えるか、
   十分に配慮するべきだとと思っています。
   また自ら正しいと思っていることでも、
   それ以外にも物の見方がないのか、
   十分に検討すべきだと思います。
   そういう努力をすることが、
   結局は自分自身を守ることにもつながる、
   そう思うものですから・・・。


   大人と子供の狭間に 2000/05/08   TOP HP-INDEX
   
   連続して十代後半の残虐な事件が起こった。
   しかもそのうちの片方の子は
   周りの人の評価は
   大人しくて良い子だとか
   挨拶のきちんと出来る子だとかとのこと。
   周りの環境としては決して劣悪なものではない。
   ざっと見ると彼ら自身に何も問題なさそうだし
   周りにもこれと言った問題点は見あたらないようにさえ思える。
   逆にこれは今現在、
   親としての役目を果たそうとしているものを
   恐怖させるものだった。
   理想的とも思える子に育っているようだったのに何故?
   そこで思い当たったことがあったので書いてみた。
   彼らは物事の訳を問うのが好きだったという。
   それが一つの突破口ではないのだろうか?
   子供時代は何故とこたえると
   必ずその質問に答えが用意されていた。
   しかし成長し
   更に難しい事柄を色々と理解して来るに連れ
   その安心感は次第に消え失せていく。
   しかも永遠とも思える未来が実は閉じていて
   よほどのことでなければ
   その先にある自分の人生と言う物が見えてしまう。
   賢い子で有ればあるほど
   その傾向は顕著だ。
   この時その人間の毎日の生活が
   より密接に現実の生に結びついており、
   身近なことでのやりがいとか
   友達との心などの交流に生き甲斐を感じていれば
   それなりの生活を送るのも
   悪く無いと思える。
   でももしそうではなかったとしたら?
   問いと答えの概念的なことが
   思考の中でのみ繰り返されていたとしたら?
   現実から遊離してしまったその人間が
   何をしたとしても不思議はないのではないだろうか?
   思うにこういう問題を起こした子供達は
   情報の捉え方や妥協の仕方、
   価値観の多様性を上手く取り入れることが
   出来なかったのではないだろうか。
   今回のことに限らず
   子供ってとかく物事を善悪の二つの面でとらえようとする。
   実際の事柄はそんなに単純ではないのだけれども
   こういった分け方をすると
   本人としては実に楽なのだ。
   大体においてこういった曖昧な事柄の存在については
   通常子供達は人間関係の中で学んでいくことが多い。
   しかし今の彼らの人間関係は
   曖昧なことに踏み込む前にストップしてしまっている。
   そして大概好き嫌いと
   どっちでもないと言ったくらいに
   極めて簡素化されている。
   もしかするとそれが一番問題なのかも知れない。
   互いに深く人付き合いをすることにより
   人間て人間自体そんなに簡単に割り切れるものでないことを知るし
   相手が自分同様生きていると言うことを
   深く知ることが出来るようになる。
   問題を起こした子達は
   そう言う部分が抜けていたのじゃあないかなあ?
   彼らは丁度子供から大人への変化を迎えている最中で
   不安定な価値観不在の大洋に
   おずおずと乗り出していく新米の船乗りのようで
   右往左往しているところと言った感じかな?
   昔ならこう言うときに必ず身近に
   身近に年上の人間がいたりして丁度水先案内人のように
   彼らを上手く導いていったものだけれども
   今はそう言った人間関係が希薄だからなあ。
   家族構成、会社と家族の関わり方、
   教育の在り方、生活習慣、人間関係に割ける時間等々・・・・
   そろそろみんなで知恵を持ち寄って
   考えを出し合う時期に来ているのだと思います。
   何とか上手く子育てを行いたいものですね。

 

責任 2000/07/06   TOP HP-INDEX

今世間は※印の乳製品のことで
大騒ぎになっている。
世間の人々の信頼を裏切って
命にも関わり得るようなことをしでかしたのだから
ある意味相当な非難があってしかるべきだ。
・・・・というのは正論だと思う。
しかし、
トップが辞任し工場を閉鎖する。
それでいいのだろうか?
何か物事を失敗したときに
このようにネガティブな責任の取り方でいいのだろうか?
会社というものは今回のことを見ても分かるように
そこで作られる商品を通して
その商品を使用する人に対して大変な責任を負っている。
だからトラブルを起こせばそれを償うというのは
至極もっともなことだ。
しかし会社が責任を持っているのは
それだけではないと思う。
会社はそこで働く人達の生活にも
しっかりと責任を持っているはずなのだ。
イメージが良くないから工場を閉鎖する?
だとしたらそこで働いている人達の生活は
一体どうなってしまうと言うのだろう?
もちろん大変な事態が発生したのだから
それどころでは無いと言う言い訳もあるかも知れない。
しかしそれでは企業の持つ社会的責任を
果たし切れていないのではないだろうか?
あくまで私自身の個人的意見に過ぎないのだけれども
彼らのやるべきことは
辞めるとか、
閉鎖するとかと言うことではなく
洗いざらいをガラス張りにし
全てを見せた上で
我々は今回起こったことが二度と起こらないように
ここまできちんと努力します。
・・・そう言ったことを精一杯見てもらうことではないだろうか。
またそうしてこそ後退して事態を収拾するのではなく
前進して事態を収拾することにつながるのではないだろうか?
私は彼らがそんな態度を見せてくれたなら
真っ先にまたその製品を購入してもいいなと思います。
がんばれ※印!!
科学への期待 2001/01/22   TOP HP-INDEX

今日kuroyagiは知人と大激論を戦わせてしまいました。
そもそもの発端はとある雑誌に「日米の大学生が自分達でコーラの缶大の人工衛星を
打ち上げる。」と言う記事からでした。
凄いなあと感心するkuroyagiに、彼はそんなことする暇と資源があったらもっと他にも
する事があるだろうにと言うのでした。
それに対してkuroyagiは、もちろん大がかりな研究は多くの政府研究機関などが
大々的にやっており、それに比べたら彼らの研究などは取るに足らない物かも
知れないけれども、しかし彼らがそこで少ない資源と少ない予算で工夫して
ロケットを打ち上げることにより、今までにはなかった技術が生まれてきて、
それが今の宇宙開発そのものに何かの影響を与えることだって
あり得るかも知れない・・・・そう言ったのでした。
けれども彼は宇宙に行く事自体、なんの利益があるというのだ?
そして前言にあったようにそのようなことに資源を傾けるよりももっと他に
資源を傾けることが必要なのではないかと意見を述べました。
そして続けて、おごれる人間が科学を乱用してきてろくなことが起きていない。
序々にでも良いから科学は放棄するべきだというのでした。
確かに21世紀に至るまでの科学はなんでもやりっぱなし的なことがあって
その後どうなるかと言うことにまったく神経を使ってこなかったし、
宇宙開発を行っているその一方で、多くの人達が貧困による飢えや病気のために
尊い命を無くしている。それは無視できない大変な重みのある事実です。
しかし、kuroyagiは思うのです。確かに今までの荒削りな科学は
人間に多大な利益を与えてくれた反面、人間を取り巻く環境や人間自身にすら
大変な悪影響を与えることがありました。でもだからと言って今ここで
引き下がってどうなるのでしょう?今の医学があったればこそ
生き延びているkuroyagiはもう少し強く科学を弁護して上げたいと思います。
今までの科学は言ってみれば幼年期にある科学で、極めておおざっぱで
鷹揚なところがあったのだと思うのですが、今伸びつつある科学は
そう言った大まかさをカバーしてここに来て初めて自然と共存できうる科学に
なってきていると思うのですよ。実際、科学の力で何か物事を行ったとして
従前の科学であったとしたら、それが周りの環境にどの様な影響を与えうるか?
そう言ったことはなかなか知ることが出来なかったのですが、
今育ちつつある科学はその繊細な分析力により、環境に与える微細な変化も
とらえることが出来るようになりつつ有ります。また高性能になったコンピューターは、
その膨大な計算力によって様々なシュミレーションを行い、より良い未来を
予測する為に欠くべからず武器になっています。
宇宙開発にしてもそうです。安価に宇宙に行く技術を物に出来れば彼方に無限に
存在する太陽光線をエネルギーに代えて地上に伝えることもできるし、地上で
不足する多くの資源の補充にもいずれ役に立つ時が来るでしょう。
昔から言われていることですが、科学は諸刃の剣です。よく使うも悪く使うもまさに
人間次第。しかし、座しておめおめ退化し、今よりも水準の低い生活になるよりも
努力してみんなでより楽しい生活が可能になりうるのだとしたら、kuroyagiは
可能性を信じて前向きに生きたいなって思います。いくつになっても・・・・。


戦争からは逃れられないのか? 2003/03/19   TOP HP-INDEX

再び戦いの火ぶたが切って落とされようとしている。
もう少しやりようがなかったのかと思いつつも
現実面での自らの無力さを身をもって感じる時でもある。
最初に言っておく、
戦争は悪である。
それには全く異論はないし、
まさにその通りだと思う。
しかし同じ反戦を叫ぶにしても
ムードだけに流されて
何かのブームのように反戦を掲げて欲しくは無いとも思う。
日本は軍事力がない等と言いながら
反戦を叫ぶなんてナンセンス。
日本は世界でも有数の軍事力を持った国家だ。
費やされる資金といい
今手にしている設備や装備といい、
第一級の軍事力を手にしている。
表向き様々な国々が反戦を叫んでいるけれども
中には純粋に反戦を唱えている国も有れば
自国の国益に複雑に絡みつかせながら
反戦を声高に唱えている国もある。
そう言った事柄一つ一つに細かく目を向けて
それぞれの力の流れをしっかりと見据えて
しっかりと自分の言葉で反戦を
唱えて欲しいと思う。

人々は戦争をする、
様々な理由から。
多くの場合に宗教が絡んでくるのは
人々の価値観の基礎にあるのが
宗教であるからに他ならない。
これは日本人からしてみると
想像も出来ないくらい根深いものがある。
日本人が世界の戦争を考える時には
このことを忘れてはならないと思う。

善悪というのは
何かの基準があって初めて意味をなすものであるから、
ある人にとって善であることでも
ある人にとっては簡単に悪になりうる。
それがいつも話をややこしくしている。
また物事には表に現れている部分と
そこの方に隠れている部分と言ったように
いくつもの側面がある。
何かを議論する時には
どの側面でものを見ながら議論していくべきなのか
十分に考えながらしないと
不毛な議論になってしまうことも実に多い。
同様に物事をどれだけ真剣に思うかで
同じ事柄でありながら
持つ意味の解釈が全然異なることもある。
ちなみに米国はすでに恐るべき人数の国民を
テロによって無くしている。
あのツインタワービルの惨劇を除いても
なおである。
故に彼らが異常なまでに危機感を募らせるのも
一面意味のないことではないと思える。
また、現代社会は互いへの信頼感というベースに基づいて
初めて巨大な科学文明というものを維持している。
ところがこれは実にもろいもので
反社会行動を取れば簡単に崩れていく。
米国はそのことをもっとも真剣に考えて居るとも
言えるかも知れない。
いみじくも現在謎の菌による肺炎が
香港を中心とする東南アジアで問題とされているが、
昔ならいざ知らず
今の世の中は信じられないようなスピードで人が移動している。
こんな状態で一度凶悪な菌を野放しにしたらどうなるか?
想像もつかないような恐るべき自体になるのは
目に見えている。
そう言った事柄を真剣に考えれば考えるほど
いかに反社会行動というのが恐ろしいかと言うことが
実際に理解されてくる。
これはまさに恐怖だ。
思うに今米国はその恐るべき未来に震撼しつつ
目に見えない影におびえているのだと思う。
彼らの軍事力を持ってしても
押さえようのない恐怖に。

現在我々はインターネットという
個人と世界を簡単につなぐことが出来るアイテムを手にしている。
このアイテムには今まで人間の手にしたことのない
有る特別な特性がある。
それはネットにアクセスする人が
自分の好きな情報にアクセスすることが出来るという
ことと、
自らも情報を簡単に安価に発信できると言うことだ。
前世紀までは社会で何か異変が起こっても
それが果たして何であるのか
なかなかその実態を知ることが出来なかった。
しかし今の世の中に生きる我々は
訓練次第で様々な角度から
あらゆる情報に接することが出来るようになる。
これはある意味大きな力だ。
かつて一人一人の個人は
国家のような大きな組織には全く食いつきようがなかった。
しかし今は何らかの影響を与え得るアイテムを手にしている。
後はその道具をいかに使うかだ。
そしてその道具をしっかりと有効に使うためにも
可能な限り様々な情報に目を通し
人の言葉を鵜呑みにするのではなく
自分の言葉でものを理解し、
考え
意見を口にして欲しいと思う。
きっと・・・
おそらく・・・
皆がそうできるようになったら
色々な諍いも
随分減るのではないのかな?
私は期待しています。


正しい行いなのか? 2003/12/14   TOP HP-INDEX

イラクに対してアメリカが戦争を起こした時
戦争は絶対悪とは思いながらも
アメリカがこれまで受けているテロの犠牲の大きさを考えると
100%ではないにしても彼らの掲げる大義に
ある意味同意せざる終えない部分もあった。
クルド人達に対する虐殺や
圧政などの話も多く聞いたし
戦争に対する悪を認識しつつも
一部の理を見いだしていた。
完全にでは無いにしても
高価な精密誘導兵器を多用することで
少しでも一般民衆への被害を減らそうとしている姿勢は
(勿論自国の兵士の被害を減らそうとしている意志もあるが・・・)
イラク国民の舐めるであろう辛酸を思いつつも
アメリカの良心の存在を信じさせる部分もあった。
しかし今をして思えば余りにも無知であったと思わざるを得ない。
そう思わせたのは何なのか?
ズバリ、昨今話題になっている劣化ウラン弾の使用問題だ。
多くのサイトにその説明が乗っているので
ここでは書き込みませんが
こちらのサイトでその恐ろしさを痛感してください。
「劣化ウランとは」
この劣化ウラン弾の使用により
汚染地区に済んでいる人達は
その人種立場に関わらずあらゆる人々が
極めて高い発ガンの可能性を持つようになるのです。
これはイラク国民に対する無差別殺戮を行わないと言う
アメリカの宣言とは真っ向から相反する物です。
無差別に市民を殺害するテロを嫌うことから
そのテロを撲滅する為に戦争を始めたような物なのに、
自ら無差別殺人を行おうとしている。
しかも彼らがこの金属の恐ろしさを知らないはずがない。
いや、唯一の被爆国民である日本国民以上に
放射能について熟知しているのがアメリカ人のはずです。
にもかかわらず彼らはこれを使った・・・・。
こうなると彼らの掲げる大義とは
はたして一体何なのでしょうか?
現在様々な国々の人達が数多くの人材を派遣して
少しでも多くのイラクの方達を助けようとしている。
しかしウランの持つ放射能はそんな人達をも蝕もうとしている。
勿論そこに危険があるからと言って
座してそこにいる人達を助けずに居る訳にはいかないだろう。
当のアメリカの兵士達も日々その汚染に晒されている。
そう言う意味では彼らもそのつけを支払っていると言えるのかも知れない。
だが危険なことを覚悟してその地にいる人間と
その地に元から居て
その地に居ざる終えない人間とは立場が違う。
劣化ウラン弾はこれらの人達に対する大規模なテロです。
ここ数日に渡って様々な面から検討したkuroyagiは
そう結論を下さざるを得ませんでした。
世界最大最強のテロ国家アメリカ・・・・。
はたして一体私達はどうすればいいのでしょう?
どう考えていけばいいのでしょう?
一人一人の人間が本気で目の前にあることを
考えなくてはならない。
今まさにそんな時代が到来しています。

補足:ウランの半減期(大雑把に言うと放射能を出す能力が半分になるまでの時間)
    ウラン238で44億7000万年、
    ウラン235で7億400万年


善意について 2004/02/12   TOP HP-INDEX

先日京都で試験会場を間違えた受験生を
パトカーで送り届けるという珍事がありました。
その事柄に対して様々な意見が寄せられています。
概ねは好意的な内容だったようですが、
中には甘過ぎるだの、
再び同じ事があったら送ってくれるの?
等というものがあったそうです。
結論から言うとkuroyagiは受験生を送り届けたことを
大いに肯定したいと思います。
何故なら世間には善意ある人や行為があるとその受験生が知ることは
受験生がそう言った好意を得ることが出来なくて
世間というものがいかに厳しいものかと知ることよりも
より教育的な効果をもたらすと信じるからです。
また、成人した大人ならともかく
まだまだ社会に出る為の訓練をしている最中の受験生に対して
一生を左右するような過酷な判断を押しつけずとも
大人として余裕を持った寛容さを与えることも
我々大人としては大切なことだと思います。
この辺りのことは我々自身がいかに大人としての地位を
認識していくかと言うことにも繋がるので
よく考えて行きたいと思っています。
それから
「再び同じ事があったら送ってくれるの?」
と言う意見を寄せた方に対しては
猛省を促したいと思います。
このような事件にはたらの話は存在しないのだと思のです。
あくまで善意から生まれた行為なのだから
自分の場合はどうなるのかと聞く事自体
有る意味幼いと言えるのではないでしょうか?
あのような判断は杓子定規に図るものではなく
人の善意に基づいて動くものであるのですから、
そこの所をよく考えて欲しいものだと思うのです。
思うに人は
もちろんそんなに強いものではないから
とてもじゃないが完全な生き方なんか出来るはずがありません。
何かをしてやる事に対して
その見返りを意識せずとも期待してしまう部分もあるかも知れません。
しかしせめても
他者が行った善意の行動くらいは
拍手を送りつつ温かく見守る事くらいは
して行きたいものだと思います。
また、とある掲示板に於いて
緊急出動したパトカーの合法性について云々の文章がありました。
しかし法律の運用にはあくまで弾力性が必要であるし
柔軟性を持たせなくてはならないと思います。
その柔軟性の中には現場での判断において
それを緊急と判断する柔軟性を組み入れても良いと思うのです。
もしその柔軟性がなければ
道ばたにタバコの吸い殻やゴミをポイ捨てする人全てを
軽犯罪法違反で掴まえなくてはならないでしょうし、
裁判における執行猶予という考えからも発生しないでしょう。
人間に厳しくするのは
多くの場合その人を罰する為ではなく
その人をより良く導くためであることを
一度考えて欲しいものだなと思います。
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