宗教対立には不介入が鉄則ね



外国人と会話をするときにタブーとされる話題が2つある。「戦争」と「宗教」だ。
今回は戦争は置いておいて「宗教」について少し書いてみようと思う。
なぜタブーなのか?それは一度してみればわかるだろう。




よく聞かれる質問に「日本人は神を信じるのか」「日本に神はいるのか」というものがある。
この場合の神は「キリスト」を意味し、日本人一般の「神様、仏様」の神ではない。
答えは非常に難しい。我々の神様は彼らにとっては神ではない。
そもそも我々の神様とは一体…。日ごろ宗教についてあまり考えない日本人にはハードなトピックだ。




昨日、イギリス人の友人2人が路上で口論を始めた。日ごろはとても仲がいい2人だ。
原因はズバリ、「神は存在するかどうか」、一人は「いる」と断言し、もう一人は「いない」という。
「いない派」はキリスト教の矛盾を追及するが、「いる派」も負けずに
「それは宗派が違う」「私はカソリックじゃない。プロテスタントだ。」と反論する。




「どうかこちらに飛び火しませんように…」、密かに「神」に祈る私の願いはあっさり却下された。
イギリスには日本の「無味無臭」の神様はいなかった。
「●●(私のファーストネーム)はどう思うの?」、ああ、聞きたくなかったその質問。
私の答えは「信じてる人の心の中にいるんじゃないの?」、
一見すると無難な答えだが、この答えは「いない」と言っているのと同じだ。




この論争に答えが出るわけもなく、「ここで終わりにしましょう」という呼びかけで幕を閉じた。
2人はまた仲のいい2人に戻った。やれやれ…




宗教の話からは離れるが、ヨーロッパでは意見の対立で関係が悪くなったり、はじき出されたりすることはない。
みな自分の意見をぶつけ合い、時に論争になるが、関係が壊れることはまれだ。
お互い本音をぶつけるところから信頼関係が生まれるのだ。
一番マズイのは「自分の意見がない人」、「ハッキリ言わない人」、「その時々でコロコロ変わる人」、
思い当たる人はいないだろうか。