趣味悠々 276:テニス・ファンの回顧
世の中、野球と違ってテニスに興味がある人は少ないようなので、戦後のテニス界の変遷ををご存じない人が多いでしょう。
興味の無い人には申し訳ありませんが、これも私の趣味の一つなので、ここに取り上げることに致します。
戦前の日本のテニス界には、世界で活躍した佐藤次郎、山岸二郎などの選手が居ましたが、私は書物で読むだけで詳しくは知りません。
戦後のテニスは、先ず中野文照、藤倉五郎選手で始まったといえるでしょう。この二人を慶応大学出身で西鉄に居た隈丸次郎選手が破り、余り格好が良いとは言えないフォームで1949年から全日本選手権を4連覇したことを微かに覚えています。不思議なことに、テニスの名選手は、佐藤、山岸、隈丸 とジロウという名の人が多いのです。
そして、来日したアメリカの世界ランキング上位のラーセン選手を日本選手権で破ったことが当時の話題になりました。
その後に、早稲田出身の加茂公成、宮城淳の両選手が現れて、シングルスは両選手が交互にチャンピオンとなり、ダブルスはこの二人が組んで天下無敵で、暫くは彼等の天下が続いたのです。
当時、世界ではオーストラリアが無敵の時代で、フォードとローズウオールがアメリカとのデ杯に勝った帰途、デビス・カップを持って日本に立ち寄りました。加茂・宮城組と戦ったダブルスを田園コロシアムで見たのですが、加茂・宮城が予想外に善戦したのを覚えております。
ローズウオールのテニスは物凄く綺麗で、彼に憧れてテニスを始めた人も多かったようですが、今考えると、彼のバックハンドは全てスライスで、決して攻撃的ではありませんでした。その為でしょうか、彼はどうしてもウインブルドンでは優勝出来ませんでした。
その後に、元の世界チャンピオンのクレーマーが世界で始めてプロ・テニス協会を発足させて、プロ・テニスが始まったのです。そしてパンチョ・セグラやキャノン・サーブのゴンザレスなど4人のプロ選手を連れて来日しました。
パンチョ・セグラは、小柄な少し脚が悪い選手でしたが、今では珍しくないバック・ハンドの両手打ちを発明した人です。彼のプレイは俊敏そのもので、コート中を走り回り、両手打ちのバックハンドが強烈で、初めてそれを見て驚いたものです。
当時は、サーバーは必ず初めにボールを二つ受け取って、サーブを始めるのが常でした。ファーストサーブが入ると、バック・ハンドを両手打ちする為に、パンチョは手に残ったもう一つのボールを素早くポケットに入れるのです。この姿が何ともユーモラスでした。
加茂、宮城の時代を継いで出てきたのが石黒修、渡邊康二選手でした。石黒選手は慶応を卒業後、三菱電機に入りましたが、その後日本初のプロ選手になった人です。
この頃までは、テニス・ボールといえば、ウインブルドンの使用球である英国製のスラーゼンジャーが断トツの一番でした。但し、当時大学卒の初任給が1万円の頃、このボールの4個入りの缶は1200円でしたので、貧乏学生にはとても買えない高値の花でした。
つまり、当時のボール価格は現在と全く同じだったのです。
私などは、学生時代に入っていた神宮のテニス・クラブでは、社会人の方が持ってくるボールを専ら利用させて貰ったものです。
その後出てきたダンロップなどの日本品は、弾みも悪く、粗悪品の時代が長い間続いていました。
その後のテニス界は、神和住純、坂井利郎選手を経て福井烈選手の時代が続いたのは、皆さんも記憶にあるでしょう。この頃から、テニスは、用具やボールなどの価格が割安になって、嘗ての金持のスポーツから一気に大衆化しました。テニス人口は急速に増えましたが、見せるスポーツとしては、スター・プレイヤー不在、世界レベルとの格差などで、人気はイマイチなのは残念ですね。
日本選手権3連覇を含む通算7勝をした福井選手の時代は長かったですね。その後半頃から、ラケットが大幅に改良されて大型化、軽量化して、テニスがすっかり易しくなりました。用具の改良によって特に初心者には、楽になりましたが、上級者はガットの材質と面積の広さに依って、玉のスピードを上げ、スピンの利いたボールが主流になったのです。華麗さよりも力強さが優先される様になりました。用具の改良がこれほど競技の内容を変えたスポーツも珍しいのでは無いでしょうか。
余談ですが、用具の改良で易しくなったスポーツには、この他ゴルフやスキーがあります。
ゴルフでは、クラブとボールの改良に依って飛距離が飛躍的に伸びてコースが易しくなってしまいました。一方、そのお陰で、高齢者でも飛距離が落ちないので、70歳代でも存分にゴルフを楽しむ事が出来るの誠には有難いことです。
また、スキーでも最新の幅広で短い板(私も昨年購入しました)は、車での持ち運びが楽になり、滑る方も安定感が増してターンなどが大変楽になりました。
以上の他、世界のプロテニスの歴史にも色々な変遷があり、歴史を偲ばせる数々の名勝負、名場面がありました。感慨を呼ぶものもあり、興味は尽きませんが、その話はまた別の機会に譲ることに致します。
(平成18年8月31日)
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