La Divina Commedia
 全ては神々しい喜劇に過ぎない。 












こぽこぽこぽ。
清々しい早朝に相応しく、茶器が奏でる優雅な響きが耳朶を震わせる。
適温に温められた白磁のカップに、甘みと濃度を絶妙にブレンドさせた紅茶が天高く注がれた。
それでいて白いテーブルクロスには飛沫一つ飛ばない。
同様に汚れなき白絹の手袋がソーサーに乗せて差し出す。
これ以上になく給仕を務めるのに相応しい、角度までが完璧に整えられた見惚れるほど美しい挙措で。
本来ならば召使いの仕事だが、主人の朝一番の紅茶のみは執事自らが務める。
これは屋敷の伝統というより、他の誰に命じられたからではなく、執事自身の希望によってである。
「これは…チコリの根にココナッツ、スパイスはシナモンか?」
「フェンネル、クリスタルモルツ、キャロブに加えてダンディライオンの根を少々。二日酔いの朝にはぴったりのブレンドです」
カップを顔に近づけ、香りを嗅いで顔をしかめたアーネストに、執事の少年は澱みなく滔々と付け足してみせた。
甘く香ばしいココナッツの風味は確かに食欲をそそらせる効果がある。
しかし主人の好みではなかったらしい。首を横に振ってソーサーへと戻した。
「いつものブレンドに変えてくれ。ペパーミントとレモングラス、それにリコライスがいいな…」
「黙れ」
即効落ちたのはうららかな早朝の空気も凍りつく怒声。
あくまで声量は静か、声も荒げない。ハーブの調合を語っている時と同じ抑揚のない調子で、執事は押しやられたソーサーを再び主人の前に突き出した。
「今朝のレシピは夜更けまで秘密倶楽部の会合で淫蕩に耽っていたアル中の脳味噌を尋常な紳士へと戻す為に最善を尽くした内容になっている。文句があるなら胃の消化不良と肝臓の酵素処理能力の低下を正常値に戻してから朝食の席につけ」
まるで今日のご予定は云々を語るがごとく一息に告げてみせた執事は、再び口を閉ざして忠実かつ慇懃な態度で黙り込んだ。
しかし短い髪と同様に鉄錆色の瞳はこの上なく鋭利に、もっとはっきり言えば斜に構えて主人を睨み下ろしている。
ここで反論しようものなら静かなる悪罵の乱射が二日酔いの頭を蜂の巣へと変えることは容易に想像がついたので、渋々アーネストも置かれたカップに手を伸ばした。
「…我が家の執事は有能だが、口が悪いのが唯一の欠点だな。カラム」
「失礼致しました。アル中色ボケロリコングソが」
礼儀正しく一礼をしてのけ、語尾についた下町の悪ガキも真っ青な毒舌など欠片も残さぬ風情でカラムは顔を上げる。
壁際に立ち並ぶ召使いたちも見事な無感情で、二人のやり取りを聞き流している。
ようやくハーブティーを飲んだ主人に、カラムは視線を上げて食事を運ぶように促した。
この屋敷の主人はアーネストだが、一切の雑事を取り仕切っているのは執事の少年だ。
この少年の合図なくして、全ては何も始まらない。命を下すアーネストがいようとだ。
従僕の一人が銀盆に朝刊の新聞を載せて持ってきた。
カラムが受け取り、一面を広げてアーネストへと渡す。
「おや。また例のテロリストが事件を起こしてくれたようだぞ」
食事も途中のまま無作法にアーネストは広げた新聞をテーブルに置く。
その寸前で皿やカップを神業に近いスピードで掬い上げ、新聞が届かない位置に置き直したカラムも大々的に一面に書かれた記事に目を落とした。
「【カラミティ】ですか。特にこれといった政治目的も信念も持たず、またレギールングを始めとするどの組織とも密な関係にない謎の多い革命集団。一方的な殺戮破壊工作を仕掛けた後に決まって声明文を発表する。主な理由は--------金」
「災禍の名のごとく、な。連中以外の全てにとって疫病神としか言いようがない。俗悪だがそれだけに冷酷と残虐性を極める。奴等に狙われた犠牲者たちはただの一人も生き残らない-------いいかね、ただの一人もだ。赤子一人、老人一人、死にかけは徹底して残さない。虐殺、惨殺どころではない。絶殺、その一言に尽きる」
清涼たる空気の朝食に相応しい話題とは言えなかったが、主人のアーネストはむしろ楽しげだ。
「素晴らしい。まさにこの廃墟都市を象徴するに相応しい至上最悪の犯罪集団と言えよう。彼等に比べれば蛇神などまだ駆け出しのひよっこに過ぎんよ。その妥協しない殺人の美学を私は声高に讃えたいぐらいだ。--------むろん一般愚民の目の届かないところで」
こそりと付け足した主人を、執事の少年は露骨に見下した目で見やった。
この腐れ放蕩貴族親父が-------といった軽蔑を隠そうともせずに、テーブルに散らかったパン屑を片付ける。
「その崇高な美学を持つテロリストが近隣で事件を起こしたのですか」
「みたいだな。ほほう、同じ区画にある上流階級のパブリックスクールに爆弾が仕掛けられたらしい。最初の一発で校内にいた半数が死傷、その救出と解除が間に合わずに二発目が爆発、それでギアストールの帝国軍や救助隊を含めた三分の二が吹き飛び、生き残った者たちが断末魔の苦しみに喘ぐ中、残された時限式爆弾が連鎖して破裂。死体もろともスクールは見事な更地になったそうだ!」
実に素晴らしい!と感極めた声で言いかけて、執事の冷たい視線に気づいてもごもごとハーブティーで流し込む。
「やがて発表した声明文では足のつかないレクエント金貨五千万枚…凄いな。軽く私が五回ぐらい転生しても今以上の優雅な生活を充分に送れそうな額だ」
「試されてみますか」
カラムは新聞の続きを指差してみせた。
そこには一週間以内に要求を呑まなければ次は同区画の一等地を狙うと書いてある。
言わずもがな、アーネストの屋敷があるのもそこに含まれている。
「おいおい。確かに出来るものならしてみたいが、生憎私は転生の呪文を知らないんだ。それともカラム、お前ならもしや---------?」
「知ってたらミミズに変えてもぐらの餌にしてやるよ。地球に優しくな」
「だろうな。だとすれば残念だが、私の屋敷を狙われるわけにはいかない。しかし頼んだところで聞いてくれるような相手ではないしなぁ。さて、どうするべきか」
「そんなことより次の演目はお決めになられたんですか」
主人の生命と屋敷の爆破危機を「そんなこと」の一言で終わらせて、カラムは食器に手を伸ばした。
まだ中身が残っているものまで断りもなくてきぱきと片付けていく。
主人の意志や命などへったくれもない容赦なさだが、何故か不思議とカラムが引いていくものはもう食べたいとは思わないので、アーネストももしやこの執事は人の心が読めるのではないかと首を捻った。
「それがまだ何も決まっていない。趣向どころか筋書きもまっさらなんだ」
新聞の次のページを捲りながら、アーネストはそうぼやく。
「招待状に書かれた日数まで後一週間を切っていますが」
「そうせっつかれても仕方がない。芸術の神は得てして気まぐれな方なんだよ。いつも愚民の望む時に降臨して下さるとは限らない」
「じゃ、貴方が失業するだけですね。マイ・ロード。退職金と雇用手当ては弾んで下さい」
主人の嘆きにむしろ満面の笑みで応じたカラムだった。
清々しいほど後腐れはない。
「だからどうしてお前はそんなに可愛げがないんだ。怪しげな一座で生活していた頃から目をかけてやっていたというのに…」
それでも恨みがましくぶつくさ言いかけたアーネストだったが。
不意に顔を上げ、幾何学上の紋様が描かれた天井を見た。
煌くシャンデリアの輝き。それと同じ光が淡蒼の瞳にも灯る。
「--------決まった。演目は【カラミティ】だ」
恍惚とした声で神託を受けたらしい彼の言葉に、カラムは露骨に嫌そうな顔をしてみせた。







**********







その都市の暗がりに沈む闇は、それ自体が巨大な生き物であるかのように、静謐にしかし絶え間なく蠢き続けている。
塗り潰した漆黒の皮膚から時折裂けて見える石榴のごとき口蓋が見えないか。滴り落ちる欲望と飢餓の粘液が、がちがちと噛み合わされる白刃のごとき死と殺戮の牙が。
闇という獣は常に贄を望んでいる。蠢く鼓動は殺人者の衝動であり、赫眼を閃かせる意志は加害者の理性だった。
今宵、闇に差し出される贄は如何なる美姫か、それとも神をも誘惑した罪深き美少年か。
あるいは---------。
かつん。
汚れなく磨きぬかれた靴底だけが奏でる明瞭たる足音を、崇高なる快楽を求めて闇夜を君臨する魔物だけが聞いた。
振り返る。勢いよく、ではない。ゆっくりと。時間を置いて。
反応に遅れたのではなく、向こうからやってきた愚かな獲物に恐怖の猶予を与える為に。
「カラミティ」
いまだ高く澄んだ、少年のものと思われる声がその魔物の名を告げる。
闇に潜んだ影たちは反応を示さない。しかし正体を露にされてもびくともしない冷酷非情なテロリストが、街灯の下に立った姿を見てわずかに瞠目したのも仕方がないといえるだろう。
白絹の光沢を持つブラウス。同じく最高級の仕立てで作られたと分かる、ベストとズボン。同色の漆黒のネクタイを締め、袖口に光るのは真珠のカフス。足元に至っては見るまでもない----- ----この上なく機能的かつ優美な音と艶を響かせる革靴が、踵を鳴らしてちっぽけなライトの下で立ち止まる。
  
バ ト ラ ー
「…執事服…?」
誰かがつぶやいたように、それは衣装屋のトルソーに飾られた見本かと思うような、典型的にして完璧な執事の装いだった。
それも質からして上等。一流どころか、芳醇なワインのごとき古き家柄を誇る真の貴族でしか雇えない。
たとえその中身が十代半ばにしか見えないような少年であっても、およそ見栄えするとは言い難い
鉄錆色の髪と瞳をしていても。                 、、、、
着られている感はない以上、少年がその超一流の執事服を着ているのだった。
「本日お見せ致します演目は彼の悪名高き革命集団カラミティ。すでにお聞き及びの方々も多いとは存じますが、【災禍】【疫病神】の名を欲しいままにする者どもが通った後は草一つ生えない更地が広がるばかり。その恐ろしさ、残忍さ、地獄の悪鬼もかくやと言わんばかりでございましょう」
唐突に語りだした少年は、しかし少年の声ではなかった。
芝居がかった口上。まるで舞台小屋の座長が客席に向けて挨拶しているがごとく。
              、、、、
気品ある紳士然とした壮年の男の声が、耳を打つ。
「狙った獲物は決して仕留め損なわず、老若男女何一つ例外なく血の海に沈めてしまう。崇高なる信義も持たず、人道どころか畜生にも劣るその残虐非道ぶり。しかしその底辺にこそ殺人の美学なるものが存在する。人を殺める、それのみを追及した理念。人の命を金で買う外道どもか?否、だからこそ金貨の山で量れるものでしょう。これは人の命の価値にあらず、その類い稀なる殺人芸術にこそ支払うべき愚民の鑑賞代金!如何でしょうかな、紳士淑女の皆様方」
貴族の退廃とした品格は失われることなく、しかしその剽軽かつ戯けた語り口調は、さすがに唖然としていたテロリストたちに戦慄を与えるには充分な戯言だった。
そう--------語りかけているのだ。しかし、【誰】に?
少年の目線は彼等を射抜いている。しかし静まり返った闇に、それ以外の人気はない。
否-------一つだけあった。少年の肩に。
最初は等身大の人形のように思えた。
白皙の肌は陶器で出来、異彩を放つ深緑の髪は恐らく人毛から作り出された最高級品。職人が精魂込めて息吹を吹き込んだ、一目見れば魂を吸い込まれそうなほど深い真紅の双眸。
美しいとしか言いようがない。そしてそれは無機物の放つ、人工的な魅力だ。
純白のドレスで包まれたそれが文字通り生きた人形だと悟ったのは、殺人技術に身を費やしてきた者のみが得られる有機体感知のセンサーとも呼ぶべきか。
瞬き一つせず、閉ざされた唇は呼吸を拒む。それなのに仄かな体温を持つ小さな肢体は、確かに生命の鼓動を宿す幼き少女だった。
「さて今宵彼等が求めるのは如何なる獲物か。レクエント金貨五千万枚に相当する生贄は一体何処の誰か。重ね重ね申しますが、これは決して生命の代価ではあらず!殺人と称する“戯曲”を演ずるに相応しい、“役者”に捧げられる代金なのです」
「つまり給料」
同じ唇が全く違う声を吐いた。
どう声帯が動いているのか、少年の顔つきは変わらず、喉仏も平静を装っている。
二つの声を互いに出しているとは思えないほど---------否、それはまるで腹話術のようでもあった。
「この崇高かつ俗悪な舞台に相応しい役者は誰か?」
「この屋敷の主でないことは確か」
少年は振り返って背後に聳える黒々とした建物を見つめる。
今から一刻もせずに、炎と殺戮に蹂躙されるはずだった屋敷だ。今はしんと静まり返り、夜半の時間帯に相応しく明かりも灯されていない。
そう--------人っ子一人いない、無人となったもぬけの空だった。
先手を打たれたと悟ったテロリストの行動は素早かった。
一瞬にして四方から重火器の大型口径を向けられても、少年の表情は変わらない。
ただその両手が上がった。手の甲を男たちへと向けて。
先ほどは執事として完璧なスタイル--------と告げたが、残念なことに一つだけ欠点が見つかった。
その爪先まで美しく整った両手に、白絹の手袋が嵌められていなかったことだ。
代わりに十指には古びた指輪が輝いていた。
大した価値のある代物ではない。上流階級に勤める執事には不似合いな、二束三文の銅製の本体には傷のような筋が幾つも刻まれている。
 
  人 形 劇
「Puppet Show」
そのつぶやきは少年のものにあらず、壮年のものにもあらず、全く【別】の囁きだった。
低く闇を震わせるような。ぞくりと怖気を感じさせるような。
不意に肩に腰掛けていた人形のごとき少女が動いた。
がくん--------と勢いよく首が下がる。傾いたというよりは、下方から引かれたような急激かつ不自然な落ち方だった。
まるで、操り人形のようなぎこちなさで。
桜色の唇が開いた。一気に頬まで引き裂けるように。
KEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!
闇に高らかに響いたのは耳をつんざくような哄笑。
間違ってもあどけない幼女の声音ではない、鋼同士を擦り合わせた摩擦音にも似た耳障りな甲高さ。
咄嗟に殺戮者たちも気を呑まれて立ち尽くす。
異様な光景が目を打った。
少女の身体がバネ仕掛けのごとく、高く飛び上がったのだ。
顔が仰け反り、結っていない長髪がざんばらと広がる。
伸ばした幼い四肢は見つめる者たちの予想よりもさらに長く伸びた。
「-----------?!」
驚愕と恐怖を貼りつけた一つの首が飛ぶ。首より上だけが。細い月明かりに白刃の輝きが閃き、血飛沫を反射させた。
夜気に生々しい血臭が混ざる。皮肉なことに壮絶な仲間の死が、テロリストたちを正気づかせた。
「何だ、こいつは?!」
姿形は人形のような十歳未満の幼女。
しかし犠牲者の身体の上に降り立った姿勢はまるで獣のように四肢を丸め、裂けた唇から長い舌をだらりと零し、舌なめずりをして流れた血の香りに酔っている。
あどけない見た目なだけにその醜悪さは想像を絶するほど。
「来たぞ、来たぞ。久しぶりに楽しい狩りの時間だ。きひひひひっ、どいつもこいつも涎が出るほど旨そうな死臭を放ってやがる。カラムよ、クソ忌々しい人形遣い!とっとと俺様を解放しやがれ!生きたまま48ヶに解体して臓物に脊椎をぶちこんでやらあ!!」
「落ち着けコルテッロ」
幼女の口から迸った、明らかに成人男性だと分かるだみ声を聞いても、立ち尽くした少年は顔色一つ変えない。
「望み通り解放してやろう--------ただし“一指”だけ」
ぴぃん。
少年の囁きと共に右手の薬指だけが弦を弾くように跳ね上がる。
刹那、蹲った幼女--------コルテッロ目掛けて幾つもの赫光が疾った。
我に返ったテロリストたちが武器の引き金を引いたのだ。
真夜中に銃声が響くような愚行は犯さない。全て消音措置を取られた銃、あるいは音もない死の熱線--------触れただけで有機物を骨まで溶かすレーザー銃だ。
現段階では軍の機密扱いである最新鋭の武器まで流用していることが、彼等が革命家を装っただけの死の商人である事実を物語っていた。
しかし数千度の灼熱に沸騰したのは首なしの死体と化した仲間だけで、寸前で幼女の肢体は高々と闇夜に舞っている。
猿を思わせる素早い挙動で高い壁の上に降り立ち、再び四肢を丸めて一同を見渡した。
がちがちと神経質に鳴らす、鉄の爪先-------人間の肉体を骨ごと切断する威力を秘めた刃の上に透明な雫が大量に滴った。少女の唇から零れる唾液だ。
「右の薬指--------それだけじゃ到底解放とはいえねぇ。とはいえ、久しぶりに味わう自由だ。おお、腕が動く。疼く、疼くぞ。俺様の腕が血を求めて滾っているのが分かる。旨そうな獲物だ。ドブ河のように臭うな。引き裂いて臓物をぶちまけてやれば、きひひひひっ!他人の生き血を啜る外道どもめ、どんな愉しい泣き声を上げてくれるかなァァァッ?!」
残虐非道なテロリストたちを外道と呼ぶが、この場に置いて誰が外道かと問えば、誰もが躊躇わずにこの幼女に指先を向けるだろう。
それほどに壮絶に嫌らしい笑い声だった。下卑た欲情が幼い顔を悪鬼のように歪めさせている。
「化物が」
テロリストの一人が嫌悪も露に吐き捨て、再び銃線が天を舞ったコルテッロを追う。
「外道には外道といったところか、否外道ではなく鬼畜と称すべきか。これなるははるか昔、霧の夜に彷徨い歩き、王から乞食に至るまで人民という人民を恐怖のどん底に叩き落とした切り裂き魔
--------その呼び名以外は跡形も残さず消え失せ、石畳に残された犠牲者の数は何と数百とも数千とも言われるほど!まだ鋼が人を支配し、魔術が世を風靡していた時代でございますれば」
滔々と語る少年の声は再び紳士然とした壮年へと変わっている。
尋常ざらぬスピードに甲高い哄笑は途切れることなく、また新たな血の雨を闇に降らせた。
人の限界を無視したような反射神経に、凄腕の殺し屋たちも中々捕らえられずにいる。仲間を一人殺される度、焦りが余計な雑念を生むのか。冷酷非道な悪鬼たちにも恐怖という感情は存在するのか。
「ひひひひひっ、そんな程度じゃまだだ!まだ勃たねぇ!カラム、人形遣い!一指だけじゃ到底足りねぇ、俺様の我欲は満たされねぇ!一気に解放しな!でなきゃ手前の可愛いツラにぶちこんで直腸まで犯り殺してやろおかァァァァァッッ!!」
全身に犠牲者の血を浴びながら、壮絶な姿でコルテッロが絶叫を上げる。
長らく封じていた殺戮衝動が解き放たれた所為か、もやは敵味方の区別もつかなくなったのか、醜悪な欲望に両目をぎらつかせて、その四肢はテロリストではなく立ち尽くす少年目掛けて飛んだ。
振り上げられた悪魔の鉤爪をカラムは避けようともしない。
ただ胸前で交差した両手のうち、左手の小指だけがかすかに三度、動いた。
「----------あら」
瞬時、桜色の唇から零れたのは妖艶な女の声音。
誰もがその声を聞いただけで真紅のドレス、真紅のハイヒール、ルビーと黄金のネックレス、そして紅薔薇の花束-------それらに埋め尽くされ、讃えられた美女を想像するだろう。
目も眩むような紅。赤という赤。誰よりも情熱的な色が相応しい淑女。
「お久しぶりね、坊や」
少年の顎を掴んだ指先まで真紅のマニキュアに染められている。
--------その指から鉄の爪が消え失せたことを訝しく思う輩もいない。
最初からそうであったかのように、幼女の姿をした妖艶な貴婦人は典雅としか例えようのない足取りで地に降り立った。
「ええ。お久しぶりです。マダム・クルエント」
「嫌ね、そんな他人がつけた味気ない二つ名は止めて。確かに血腥いことは好きだけど、吸血鬼呼ばわりされるのは御免よ」
            
フ ィ ア ン マ
「---------では【真紅の貴婦人】」
言い直した執事に、色香がしたたるような微笑が零れた。
「そうよ。いい子ね、坊や。それはさておき、今回は何用かしら?…あらあら、この惨状だとまたあの田舎者が大暴れしたようね。全く情緒も風情もない短絡的な殺り方だこと…あんな下民と同じ殺人者扱いをされるのはノーヴルのわたくしには屈辱極まりないわ」
紅をはいた唇から露骨な差別意識が隠す様子もなく露になる。
「おや?はやくも役者が交代した模様。切り裂き魔に続いて登場されたしは麗しき公爵夫人、美貌才媛で謳われた社交界の美女。しかしながら彼女の高名は単なる讃美だけに止まらず、やがては追従者を恐怖と断末魔の絶頂に突き落としたことは、ここにおられる博識の方々はすでにご存知でしょうね。流血を好んだ淑女、マダム・クルエントの二つ名で華々しく新聞の一面を飾り、その身にまとう真っ赤な血のドレスから【真紅の貴婦人】の称号を当代国王から譲り受けた素晴らしい理想のご婦人です。誰もが魅惑的な紅い口づけを受けたいと希い、しかしながらその接吻はまさしく魔女の呪いともいうべき---------」
再び饒舌となったカラムが壮年の男の声で語りだす。
フィアンマと呼ばれた彼女は優雅に踵を翻し、銃を構えた男たちへと向けて歩き出す。
純白のドレスはいまや返り血で真っ赤に染まっている。それが違和感なく似合う、そんな危険な女だった。
だからこそか。恐るべきテロリストは身動き一つせず、彼女が近づくのを許した。
己たちと同じ匂いを嗅いだのか。互いを見つめる目は尊重すらあり、親愛の情を交わしていた。
「あの快楽衝動だけで生きているサルよりは上等な男のようね。わたくしの名はフィアンマ。真紅の貴婦人よ。覚えておきなさい」
女王のような傲然とした態度でさえ、美しさは匂いたつばかりだ。
恍惚とした意識が地獄の苦痛に変わるのもすぐだった。
フィアンマは優しく抱くように両手を広げてみせる。魅惑は香りそのもの。気づいた時にはすでに侵され、毒の進行が全身に巡っている。
幾人かが血反吐を吐いて武器を手落とした。喉を掻き毟りながら四肢を仰け反らせ、見開いた眼窩からぼっと視神経に繋がれた眼球が飛び出す。
毒々しい赤紫に変色した舌を吐き出し、肌には黄疸の色が浮かび、死の痙攣に身を震わせるまでたったの数分。
「毒使いか?!」
生き残ったテロリストが距離を置いて叫ぶのを聞いて、女は慈愛に満ちた微笑を浮かべてみせる。
「いいえ、わたくしはマダム・クルエント。品のない通称は気に入らないけどまさしくその通りなの。-------愛しい方の血を吸って愛に応じる女よ」
かくり、と音をたてて下顎が開いた。艶かしい唇から淫蕩な仕草で紅い舌が垣間見える。
しかしそれよりも凄まじく淫らで-------悍ましさの極地がその口蓋から生えていた。
白っぽい杭のような。大型の獣を思わせる牙。
まさかそれがうねるや否や、死に瀕している仲間たちの肉体へと喰らいつこうとは。
身の毛もよだつ絶叫が闇を震わせた。
意志ある生き物のように蠢いた牙は腐食性の毒で柔らかくなった獲物の肉を穿ち、臓腑から直接温かな生き血を啜り上げている。
「ああ美味しい。舌がとろけてしまいそう」
顎が外れた状態でどうやって声が出るのか---------声帯は何一つ変わらないまま、陶酔しきった声でフィアンマがつぶやく。
その声だけ聞いたならば、男の大半が股間を押さえて蹲りそうになるだろう。
絶頂を極めたような恍惚に喘ぎながら、幼女は自身よりも巨大な牙で獲物を幾度も刺し貫き、じわじわと生命のエキスを啜っていった。
「--------奴を殺せ」
仲間たちの壮絶な断末魔を聞きながら、呻くような声で隊長格の男が告げた。
血走った目がフィアンマではなく、最初から身動き一つしていない執事へと向けられていた。
「奴がこの化物を操っているはずだ!あの執事を先に仕留めろ!!」
絶叫に近い命令に半数ほどが少年へと銃口を向けた。
光速で飛来する熱線を回避することは事実上不可能だ。一瞬後には肉が焼ける嫌な音が響いた。崩れ落ちた男は胸に大穴を開けた同僚を信じられない目で見つめて、それから息絶えた。
                              めくらまし
「--------これは困った。勝手に舞台裏に入られては、せっかくの幻戯のタネが分かってしまいます。たとえ黒子が見えたとしても黙って見ないフリをするのが、舞台のお約束ですよ」
それとも、と少年の姿をした紳士は続けてみせた。
クロスさせた右手の親指と、左手の中指がかすかに連動する。
弾かれたようにテロリストの一人は飛び上がり、それからぎくしゃくと地面に足をついた。
恐怖に引きつった形相は男が正気であることを告げていた。正気のまま、仲間を射殺するという狂気の沙汰に走ったという事実を。
「三流戯曲に相応しい陳腐なドラマを設けましょうか。舞台の最終幕、盛り上がりの最高潮で味方の裏切り者が姿を見せる--------なんていうのはよくあるお話でしょう?」
腕も震えず、歯も鳴らない。男が己の感情を露に出来る唯一の箇所--------血走った瞳を見なければ、冷静的確にテロリストはつい先ほどまでの仲間に銃口を構えてみせる。
「よせ」
隊長格が呻くように告げた。無駄だと知っていても。
「ボルドー。---------銃を下ろすんだ!」
鋭い命令と共に引き金は引かれた。
同時に即席の裏切り者となった男はぐずぐずの肉塊と化して地面に蟠った。
「--------貴様…仲間だけでなく敵も操れるというのか」
ちぃん。
かすかに空気を鳴らす、細く高い音が響く。
執事は左手の三指を軽く折り曲げただけだった。
眼に映ることのない極細の糸が闇を縦横無尽に舞い、少年の指輪へと巻き戻されていくことを一体何人の人間が見抜けたか。
ようやくテロリストたちは悟る。
少年が最初に告げた囁きの意味を。



   人 形 劇
「Puppet Show」




この世界はもはや、その舞台と化しているのだった。







**********







「これにて本日の演目は終了させて頂きます」
声の合図と共に血の海と化した深夜の映像が真っ暗闇へと切り変わった。
からからから。古き良き時代を彷彿とさせるノスタルジックな映写機が回る音が響く。
劇場はあくまでこじんまりと小さく、舞台装置も華やかとは言えない。
それでも革張りの座席に腰を下ろした観客たちは、それぞれに満足げなため息をついてみせた。
全員それなりに身分のある人間であることは、身にまとう礼服や装飾品の豪華さで分かる。
しかし老若男女関係なく顔を隠すように、天鵞絨に宝石を散りばめた目元だけの仮面をつけていた。
小さな舞台と古びた劇場。催しはただそれだけだ。座席はゆったりとした安楽椅子となっており、それぞれワインや葉巻などの嗜好品を片手に楽しんでいる。
その様子は上品だがどこか秘密めいた妖しげな空気が充満している。
舞台に真紅の幕が下りるなり、右脇の方に小さなスポットライトがついた。
そこにも一人の紳士が安楽椅子に腰掛けている。
ただし彼だけは仮面をつけていない。
四十路半ばほどか、豊かな銀髪をなでつけ、淡蒼の瞳の片方を金のモノクルで隠している。
ぞっとするほど怜悧な顔立ちは品よくたくわえられた美髯によって和らげられ、座っていても観客たちを圧倒するほどの見事な風采がある男だった。
「お楽しみ頂けたでしょうか。皆様方」
先ほど執事の口から漏れたのと同じ壮年の声が、一同の耳を打った。
誰かが満足げにうなずき、誰かが乾いた拍手の音をたてる。
追従する者はいない。皆、好き勝手に今日の演目の感想を態度で示している。
ここにいる連中は周りに合わせるなどといった無様な真似はしない。それは貴族の品格を汚すと思っているからだ。
「これまでとは一風変わった趣向が素敵でしたわ」
                         
バイラリーナ
「お褒めのお言葉ありがとうございます。ミス・“踊り子”」
「カラミティか。彼等の次の狙いが貴公の屋敷だと何時気づいたのかね。否、そうなるように仕向けられたのかな。貴公の筋書き通りに、【戯曲の王】よ」
                            
クラウン
「それは貴方がたの想像にお任せします。ミスタ・“道化師”」
「それにしても何時見ても見事なものだな。あの人形劇は。安っぽい三流世界もあなたの劇詩と人形遣いの腕にかかれば一流のステージと化す。演目に組み込まれた哀れな道化は笑い嘆き叫び狂いながら陳腐な予定調和の物語を演じて我々の退屈を癒してくれる。この上なく愉しい趣向だよ。現実という名の舞台は」
                      
トラペシスタ
「お気に召されて何よりです。ミスタ・“空中ブランコ”」
「--------しかし、聊か生臭いのではないかね」
次々に返る満足げな感想の中に、一つだけ満たされていないと分かる、かすかな不満が滲みでた声がある。
    
フュナンビュール
「ミスタ・“綱渡り”。それが【ブラッティナイオ】の持ち味だろう?」
「私が言っているのは具体的な血腥さのことではないよ。演目の種類がだ。
確かカラミティには帝国からも七カ国連盟からも多額の賞金がかかっていた。いわば世界規模の指名手配を受けた犯罪集団だ。悪者退治というチープなテーマをわざわざ【ブラッティナイオ】の演目に選ぶにはやや俗悪過ぎるのではないかね」
冷ややかな口調だが、アーネストは顔色一つ変えなかった。
それどころか口の端に浮かべた淡い微笑も。
「おっしゃる通り。しかしながら俗悪もまた芸術の一つですよ。私は崇高な芸術を好むが、美しく残酷な幻想だけが芸術の全てではない。否、それでは子供の空想と何も変わらない。芸術は現実性を帯びてこそ光輝くのです。だからこそ私の舞台はこの世界であり、うら寂れた路地裏であり、ありふれた人間が役者でなければならないのです。悲劇は常に滑稽な要素をはらみ、シュルレアリスムと表裏一体である。そう、神々しいまでに矛盾した喜劇でなければ」
観客は涙しない、と続けてみせる。
「その根本にあるのが哀しみであれ怒りであれ喜びであれ。神の奇跡は祈り一つで起こせるものだが、この小さく狭い舞台には人の喜怒哀楽全てが欠かせない。常に生々しく、俗悪に満ち、吐き気がするほど嫌らしく、生唾を飲むほど享楽的。そんなものを私は愛しているのです。ほら、ごらんなさい---------」
無造作に彼はステッキの先を舞台へと突きつける。
緋色の幕が降りていたはずの舞台にスポットライトが当たり、どこからともなくからからと映写機が回る音が聞こえてきても、誰も驚かない。
完璧な執事の肩にはやはり完璧な少女人形が乗っていた。
血にまみれたドレスも肌も髪も、その瞳の虚ろさには及ばない。
真紅の虚無はありとあらゆる現実性を吸い込み、無為なる価値へと変換してしまう。
「まさしく人形のように人形である。そんなものに一体どんな意味がありますか?ただ呼吸するだけの無意味な玩具に殺人鬼の魂が吹き込まれた刹那、彼女は他の誰よりも舞台で映える役者と化す。私の戯曲を演じてくれる最高の女優にね」
「故に【人形姫】--------全く羨ましいほど素敵な姫を飼われているわね」
真珠を飾った仮面で顔を隠した初老の婦人が、孫娘を見つめるような慈愛を込めて微笑んでみせる。
「あ、それと」
まるで下町の親父のように剽軽な口調でアーネストは指を立ててみせた。
それなのに貴族の気品が消えないのだから不思議だ。
「先ほど悪者退治とおっしゃられましたが、私は何も汚職官僚の手柄を横取りしたわけではありませんよ。舞台の役者として踊ってくれたのはほんの十数名ばかりの実行犯のみ。【カラミティ】は依然存在しています。アジトごと根こそぎ壊滅しなければ、これからも夜の闇に蔓延り、人々から安息の日々を奪い続けるでしょうね」
「あの人形遣いと君の姫ならば、【カラミティ】そのものを一網打尽にすることも出来たのではないかね?」
「何故私がそのようなことをせねばならないのです」
さも当然だと言わんばかりの表情で、アーネストは切り返した。
「私は劇作家ですよ?悪徳の撲滅は法の腐れ執行者に任せておけばいい」
「確かに」
くつくつと同意するような笑いが幾つか上がった。
貴族を自負する者独自の、傲慢で退廃的な笑い方だ。
彼等は昼も夜も洗練されたサロンで、集う者だけに許された贅沢な娯楽を楽しめたらそれでいい。舞台裏で、映写機の向こう側の現実でどれほど血腥い事件が起こっていようとも、阿鼻叫喚の悲鳴が鳴り続けていようとも、それは彼等の知ったことではない。
「では次の演目も楽しみに待っていますわ」
そう告げて次々に観客たちが去っていった後、アーネストは安楽椅子に腰掛けたまましばらくは動かなかった。
成功に終わった舞台に満足した様子もなく、一転して唇をへの字に曲げた仏頂面となっている。
「ただ呼吸するだけの無意味な玩具、か。我ながら卑劣極まりない言い様だ」
心の底から嫌悪したように吐き捨て、二人が戻ってくるのを待つ。
一人の空間に耐える時間はさほど要さなかった。元々この劇場は彼の住んでいる屋敷からも離れていない場所にある。貴族たちの退廃的かつ淫靡で享楽嗜好から生まれた秘密倶楽部の会合が行なわれる場でもあった。
ほとんど音がたたないような重い響きで、両開きの扉がゆっくりと傾いでいく。
アーネストはやっと立ち上がって出迎えた。有能な執事と、その肩に座った少女を。
「オルサ」
つぶやいた名には限りないほどの深い慈愛が満たされている。
アーネストは両手を差し伸べて、少女の血で汚れた白皙の頬を包んだ。
「オルサ。私の可愛い娘。私の愛しいたった一つの宝よ」
慈父の優しい呼びかけにも少女人形は表情を変えることなく、瞬き一つですら返さない。瞳孔反応さえ示さない真紅の双眸は底知れない虚無が巣食っている。
文字通り、魂なき生きた人形。呼吸する屍の愛娘。七歳の時に永遠に時を止めた幼い娘を、アーネストは一転して痛々しく悲しそうな表情で見つめる。
「ああオルサ。やはり神は全てを見ておられるのか。私の愚かしいまでの愛を赦しては下されないのか。私はただ、お前を失うことに耐え切れなかったのだ。たとえ悍ましい悪霊どもを飼うことになろうとも。悪魔と契約し地獄に堕ちてもかまわないほどに、私にとってお前という愛はあまりにも美しく眩い光だったのだよ」
それは絶対なる神の信仰さえも眩ませるほどに。
深い絆で結ばれた父の懺悔は、糸の切れた人形には届くことなく、硬質な肌の上を滑っていくだけだった。
「オルサ、オルサ、私の愛しい娘。お願いだ、ただ一度でいい。一度でも叶うのならば私はこの命を投げ捨てたっていい。魂を悪魔に喰われてもいい。お願いだ、もう一度だけ昔のように私に微笑いかけておくれ」
痛切な父の悲願に応じたのは神の慈悲ではなく、冷静な少年の声だった。
「なら笑わせましょうか」
アーネストはまるでそこに悪魔がいることに気づいた人間の顔つきで振り返った。
絶望のどん底に突き落とされた声で愕然と告げる。
「カラム、お前こそが真の悪魔だったのか?」
「ただの人間に決まってるでしょう。悪魔なんか夢想の産物ですよ」
少年執事の返事は素っ気ない。
彼の素手の十指には依然として古びた指輪が嵌められている。そこから繰り出される不可視の糸が操れない傀儡は存在しない。それが生きた人間であれ、魂なき屍であれ、あるいは歴史を震撼させた過去の殺人鬼であれ。
望み通りに“役者”として再現してみせる。悪霊さえも手駒として。
アーネストは深々とため息をついた。何かを諦めるような表情で首を振り、そっと両手を下ろしてうなだれてみせる。
「いいや、私にも分かっているのだ。この世に悪魔など存在しない。するのは人間が生み出した際限なき欲望の怪物-------それに幻想というカテゴリをつけただけで。そう、悪魔とはまさに鏡に映った私自身の姿なのだよ」
「この世で最も恐ろしいと思うものを描いてみるといい。そこに描けないものがお前を殺すだろう。誰の言葉だったかは忘れましたが。人間はどんなに想像逞しくありとあらゆる幻想を生み出しても、自分自身の本性だけは気づかないそうですよ」
カラムの声に責めるような響きはない。一途すぎた愛故に大罪を犯した愚かな男を断罪するわけでもなく、それさえも路傍の石並みにどうでもいいことなのだと言いたげに。
「安心なさって下さい。貴方はトチ狂った悪魔などではなく、ぺドフィリアな上にネクロフィリアというはた迷惑極まりない犯罪に疾った心が折れやすい割には金には困らない典型的な駄目貴族の人間です。マイ・ロード」
「…何だかお前と話していると、人として生きることにすら絶望的な気分になってくるな。だがそうだ。その通りだ。私も下らん人間の一人に過ぎない。他者から見れば喜劇に過ぎない悲劇に浸っているだけの、一人の憐れな男に過ぎないんだよ」
気を取り直すようにアーネストは咳払いをした。
がらりと口調を変えて、戯曲を奏でていた時のような厳かにしてどこか滑稽な戯詩を紡ぐ。
「そう-------神々しい喜劇とでも呼ぼうか。生涯をかけて無駄な虚飾で膨張させ浪費させてい
          
それ
く。誰一人として運命から逃れられるものもいないがね」