どんな地の果てだろうと、変わらず陽は昇り続ける。
明けない朝などない、そう歌ったのは誰だったか。
そんなことをぼんやりと思い出しながら、ローウィンは寝起きの睡魔を振り払うように煙草に火をつける。
夜更けまで仲間内で浴びるように酒を飲んだ挙げ句、仲良く酔い潰れて雑魚寝していたので、髪も服もくしゃくしゃだ。
尤も戦場で櫛を通すようなお上品な奴などいはしないが。
酒臭の残るテントから出ると、冷たい風が頬を撫でた。
さすがに陽が昇る前は肌寒さを覚える。上着を取ってこようかと思ったが、面倒臭くなってそのまま外に出た。
ひんやりと、しかし清涼感のある空気を肺一杯に吸い込む。
実際には黄塵の混ざった乾いた風で、決して綺麗とは言えない。しかし酒気の残った頭を醒ますには充分な冷たさだった。
視界一面に広大な荒地が映った。硬い黒土と金色の砂が入り混じっている。背の低い潅木が岩地に生えているだけで、緑の類いはあまり見当たらない。
野営からそう離れていない距離に小さな街も見えるが、同じようにくすんだ黄土色に塗り潰されている所為で、色彩の変化は乏しい。もちろん戦火の巻き添えを食らって攻撃されないように、わざと周囲と同化させているのだが。
暁闇に包まれた薄暗い世界を見つめ、当てもなくぶらぶらと歩き出した。
昨夜飲みすぎた所為で、頭の芯には鈍い痛みが残っている。身体も重い。
気分を晴らすように野営から離れ、小高い丘陵地へと向かった。
日々戦闘に明け暮れていれば、自然と五感が優れ、予知能力にも近い直感も働きやすくなる。特に命を奪い合う行為は人の気配に過敏に反応する。
女を抱いて眠っている時ですら、わずかな物音にも目を覚まして飛び起きるほどに。
戦場に出た者が再び戦場へと戻っていくのは、ある種の中毒症状ともいえるだろう。
気が狂うほどに恐ろしい体験をしてなお、平和な生活に戻れば研ぎ澄まされた感覚が日常を受け付けない。結局、自分に相応しい死地へと舞い戻る羽目になる。
ローウィンもそんな一人だったが、すぐそばに近づくまで気づかずに、視界に入った後ろ姿に軽く目を見開いた。
「おっどろいた。早起きだなァー、隊長」
冷やかすように声をかけると、岩地に腰掛けていたアマキはゆっくりと首をめぐらせた。
動揺のない表情はとっくに気づいていたのか、それとも押し殺しているだけなのか、ローウィンにも分からない。
「お前こそ。昨夜は遅くまで飲んだくれてたんじゃないのか?」
「ははっ。逆にその所為で目が覚めたのかもしれませんねぇ。早朝の空気は酔い覚ましにはちょうどいいや」
隣に並んで立ちながら、腕を上空に向けて思いっきり伸ばす。
固まった筋肉がぎしぎしと痛んだが、逆にそれが鈍った身体には心地よかった。
「てか隊長も飲んでたじゃないですか。ちっとも顔色変わらなかったけど。あんたザルですか?」
「そうでもない。お前らと違って限度を知ってるだけだ」
平然と応じるアマキの横顔は腹立たしいほどにいつものそれだ。
無表情というわけではないが、感情の抑揚には乏しい。部隊を指揮している時も、酒を飲んでいる時も、敵兵を殺している時も。
見た目は若く見えるが、その落ち着きぶりから実は相当年上なのではないかと疑ったこともあるのだが、結果はそのままだった。要するに生来の性格らしい。
「ちぇー。実は賭けてたんですよ。ザックたちと。隊長が何瓶で潰れるかね。残念なことに数え終える前に俺たちが潰れちまいましたが」
「マリファナなんぞ吸いながら飲んでるからだ。悪酔いするのは目に見えているだろうが」
「なんでそんな時まで合理的に考えるかなー。嫌なことなんて忘れてぱーっと騒ぎたいって思うことはないんですか?」
冷静に諭され、さすがに呆れたように返したローウィンだった。
浴びるほど酒が飲みたいのは、麻薬の齎す昂揚感を得たいのは、戦闘時の荒んだ感情を忘れる為だ。人を殺すことに何も感じない麻痺した心を取り戻す為だ。
銃声と共に逃げ去った恐怖や情愛といったものを、酒や麻薬、それに人肌の温もりを辿って掴み戻さなければ、ローウィンたちは本当の殺人兵器となってしまう。
「それとも部下の前では醜態を晒したくないですか。エリートさんとしては」
嫌味を込めて告げると、夜明け前の薄闇を見据えていたアマキがようやく振り返った。
暗い中ではよく分かりにくいが、その黒髪はわずかに青みがかっている。瞳も深いインディゴ・ブルーをしていた。整った顔立ちは傭兵というよりは、学者か役人を思わせる知的さがただよっている。
「みんなが噂してますよ。天涯孤独だって言ってるけど、本当はどこぞの貴族出身だって。言われてみれば俺たちのような破落戸とは違って、品位みたいなもんがありますもんね。頭もいいし、弁も立つし。生活に困ってるわけじゃないみたいなのに、何だって傭兵ギルドに志願したんです?」
「--------人を殺してみたかったから。そうとでも言ってほしいか?」
薄い唇が酷薄な笑みを刷く。
一瞬言葉に詰まって黙り込んだローウィンに、アマキは一転して声をたてて笑った。
「冗談だ。確かに貴族は貴族だったが、とっくの昔に没落した。家には財産どころか借金だらけだった。生活苦を抱えるほどじゃなかったが、穀潰しを養うほどの余裕はない。ギルドに志願したのは手っ取り早く金が稼げるからだ。これで満足したか?」
最後にからかうように付け足されて、ローウィンは憮然とした顔になった。
「からかったんですね?意地悪いなァ」
目を逸らして、一瞬前の気まずさを誤魔化すように新たな煙草を咥える。ライターの火がつかなくて苛立っていると、アマキが放り投げてきた。
「あんた煙草吸いましたっけ?」
「偶にな。吸わなくても常備している。役に立つ時があるからな」
「どんな?」
「不意打ちで襲ってきた敵の目を灼く」
「こっえーなァ。間違っても寝起きにやらかさんといて下さいよ」
肩をすくめて、ローウィンは戯けてみせた。
しかし冗談で言ったのではない。事実、平凡な生活に戻っても死地での壮絶な体験が忘れられず、悪夢に魘されて起こそうとした妻を殺してしまった兵士もいる。
「下らん悪戯心を起こさずに、普通に声をかければ何もしないさ」
常時この冷静沈着な上官の鉄面皮をどう剥いでやろうかと企んでいる彼等の心中を読んだかのように、やんわりと忠告してくるアマキに今度は首を竦めてみせた。
何事も適度が大切だということだ。
寝起きを襲撃するのは命懸けになりそうなので止めておこう。
しかし性懲りもなく思いついて、咥えていた煙草を指に挟み、顔を近づけた。
「でも普段でも声をかけずに起こす方法もあるでしょう」
「どんな?」
「彼女に目覚めのキスをされたことありません?その区別はつきますか?」
睡眠中、彼等は人の気配に反応する。飛び起きるだけならまだいい。しかし下手をすれば相手を組み伏せ、銃口を口腔に突っ込んでから、ようやくそれが己の最愛の妻や恋人だということを理解するのだ。
多かれ少なかれ、そのような苦い経験をした人間だけがこの戦場に戻ってくる。
機械のように的確に敵を仕留める上官も例外ではないはずだ。
「足音を忍ばせて近づいてくる相手が恋人か敵か、本当に判断出来ますか?」
からかうように告げると、アマキは少しだけ目を細めてみせた。
伸びた右手が無造作にTシャツの胸ぐらを掴む。
一瞬殴られるかと思い後ずさりかけたが、アマキの力の方が強かった。
ぐいと己の方に引き寄せて、その耳朶に唇が触れんばかりの距離で低く囁く。
「匂いで分かる。お前みたいに血に狂ったケダモノはな」
嘲るような言葉よりも、掠めた吐息に意識が集中した。
「…ぞっとするなぁ」
反射的にその横顔を見返して、ローウィンも軽口を叩き返す。
「俺はあんたの寝首を掻いたりしませんよ」
「二束三文で命を切り売りする傭兵の戯言など誰が信用するか。真に誠実な人間はこんな血腥い戦地に好んで出てきはしないさ」
冷たい蒼い瞳が、挑発的に笑う。
マリファナの齎す昂揚感とはまた別の、ある種の刺激が脊髄を這う。
恐怖と快楽は常に表裏一体だ。銃を手にすれば両者の感情に揺さぶられる。
それと同じ眼だった。恐れるが故に惹かれずにはいられない、焦がれるが故に逃げ出したくなる、戦場と同じく一度知ってしまえば二度と振り切れないであろう中毒症状。
「あんただって所詮は同類でしょ。エリート面してても、中身は血に飢えた鬼畜だ」
「だからこんなところにいる」
あっさりと言って、アマキは手を放した。
殴られはしなかったが、ある意味それより怖かった。
フィルターぎりぎりまで灰になった煙草を捨てながらそう思う。
しかしその背筋を凍りつかせる戦慄が、困ったことに嫌いではないのだ。
“ぞっとする”のは、子供の怖いもの見たさにも似ている。
人を殺す銃を初めて手にした時、生理的に怯えながらも歓喜に震えたように。
(だってねェ。生半可な刺激じゃもう物足りないんだからよ。その辺の女を抱いた程度じゃこびりついた血と狂気は拭えやしない)
戦場以外に真っ当な恋人をつくる気になれないのはその所為だ。
所帯を持った仲間は、大事そうに妻や子の写真をポケットに入れている。もちろんその気持ちも分かるが、共感するにはまだ若すぎたのだろう。
慈しむ愛よりももっと猛々しい衝動を求めているのだ。生と死を綱渡りするような、ぎりぎりの快絶を。
「じゃあ試しに、今度キスして起こしてあげましょうか」
「自殺願望でもあるのか?お前は」
「なけりゃこんなところにいませんよ。まともに生きたいと思う奴なんかね」
そう減らず口を返した時、視界の端に鋭い光が突き刺さった。
振り返って立ち上がると、ちょうど荒野の彼方から太陽が目覚めたところだった。
夜が終わり、また長い一日が始まる。
人にとっては生の始まりであり、彼等にとっては死の始まりでもある象徴。
「さぁて、また人殺しに戻りますか」
煙草の残骸を踏み潰し、瞳を細めながら嘯いてみせると、立ち上がったアマキが目を向けてきた。
「どんな時でも理性を捨てるなよ、ローウィン。でなきゃお前は---------」
「血に飢えたケダモノですか?」
皮肉げに唇を歪めて遮ると、あっさりと否定された。
「ただの悪党だ。それよりは一歩マシなものでいろ」
「------------」
一瞬きょとんと目を見開き、それからローウィンは肩をすくめた。
「それってどう違うんですかねェ。大差ない気がしますけど」
「理解出来ないのはお前が馬鹿だからだ。少しは頭を使え」
「うわ露骨な嫌味。さっきのエリート云々の仕返しですか」
「純然たる真実だろう。召集までにはイカれたアルコールを抜いておけよ。いざという時に役に立たん男ほど無様なものはない」
「…一個訂正。あんたもたいがい下品だ」
だらだらと下らない会話を続けながら、二人は昇り始めた陽に背を向けて歩き出した。
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